レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年04月06日
- 登録日時
- 2012/08/04 16:50
- 更新日時
- 2012/10/30 17:35
- 管理番号
- いわき総合-地域10
- 質問
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解決
①後田町はいつごろできたのか?
②後田町の住民が利用する公共施設や生活圏はどこになるのか?
- 回答
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①いわき市後田町は昭和41年10月のいわき市合併時に誕生しました。それまでは、勿来市植田後田 町と呼んでいましたが、いわき市合併時に「明治の大合併」直前にあった村名(後田村)をそのま ま残し「町」を付けたそうです。(『地名の変化にみる、いわきの近代化』より)
②学区は「植田小学校」「植田中学校」で、最寄駅は植田駅、買い物などは隣接する中岡町、植田町のスーパーで行っているようです。
- 回答プロセス
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1.資料を調査
【資料①】『いわき市の合併と都市機能の変遷』 〔 K/318.2/イ 1111904171〕
P4の図-1「市域の変遷」で、後田町の変遷を確認。
【資料②】『地名の変化にみる、いわきの近代化』 〔K/291/チ 1111966469〕
P52に、「植田地区においては「明治の大合併」直前にあった村名(後田村)をそのまま残し「町」を付けた」という記述があった。
【資料③】『植田町史』 〔K/210.1-1シ 1111900799〕
P243に【資料②】と同じ内容の記述あった。
【資料④】『なこそ(勿来市勢要覧)1957』
P50「官公庁」の一覧内に「福島県立磐城農業高等学校」の住所が「植田後田町」とあった。
【資料⑤】『いわき市内地域別データファイル 2009』 〔K/318.2/イ 1111985535〕
P96に後田町の人口・世帯数が掲載。
【資料⑥】『ふくしま家づくりの本 2010』 〔K/527/フ 1111981393〕
巻末にいわき市内学区早見表あり。これによると後田町は「植田小学校」「植田中学校」になる。
【資料⑦】『いわき市の地域振興とまちづくりⅢ 勿来地区』 〔K/361/イ 1111978828〕
勿来地区全体の社会調査がメインであり、後田町については記述なし。しかし、勿来地区全体で 言えることとして、買い物は植田・勿来地区の
スーパーで行っていることがわかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210)
- 日本 (291)
- 地方自治.地方行政 (318)
- 参考資料
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いわき市の合併と都市機能の変遷 [K/318.2/イ]
いわき市未来づくりセンター∥編 2004 -
地名の変化にみる、いわきの近代化 [K/291/チ ]
いわき未来づくりセンター 2008.10 -
植田町史 [K/210.1-1シ] 雫石 太郎∥著 1987
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なこそ(勿来市勢要覧)なこそ [K/318.2/ナ]
昭和32年版 勿来市総務課∥編勿来 勿来市役所 1958.3 -
ふくしま家づくりの本 2010 [K/527/フ ]
エス・シー・シー 2009
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いわき市の合併と都市機能の変遷 [K/318.2/イ]
- キーワード
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- 勿来町
- 後田町
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000109695