レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/4/17
- 登録日時
- 2015/09/02 00:30
- 更新日時
- 2015/09/11 14:55
- 管理番号
- 2013002
- 質問
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解決
幕末の頃(1868年頃)、函館から横浜まで蒸気船の航海にかかった日数を知りたい。
- 回答
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当時の函館-横浜間の航海日数について書かれた資料は見当たらなかった。
しかし、当時の蒸気船がどの程度の速度で航海していたか書かれた資料はあった。
①によると、1867年にアメリカの会社、パシフィック・メイル・ラインが、太平洋横断定期航路を開設している。
サンフランシスコ-横浜-香港間に就航し、サンフランシスコから横浜へは24日程度かかったとのこと。船の速力は9.5ノット。
当時の最高水準の蒸気船の性能であれば、11ノット程度は出せたが、長距離を燃料補給なしで航海するため、経済速力という観点から9.5ノットにしたと書かれている。
また、②には、幕末前後の様々な蒸気船が紹介されている。それによると、当時の蒸気船の速力は、おおよそ10ノット~14ノット程度。
函館-横浜間の航海距離は、現在の距離表(③)を見ると、最短526カイリ。航海距離は、当時と現在で、さほど変わらないと思われる。
速力1ノット=1時間で1カイリ航走する速力なので、計算すると、以下の日数がかかることになる。
・速力10ノットの場合:526カイリを52.6時間=約2日と4時間半
・速力14ノットの場合:526カイリを37.6時間=約1日と13時間半
従って、函館-横浜間は、おおよそ2日程度と考えられる。
なお、全ての蒸気船がこの速力だったわけではなく、気象条件等により航路を長く取る場合もあるため、もっと時間がかかったことも考えられる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 海洋開発 (558 7版)
- 参考資料
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- ①「蒸気船」田中航著 毎日新聞社発行 1977年 (550.2/Ta84)
- ②「幕末の蒸気船物語」元綱数道著 成山堂書店発行 2004年 (557/Mo93)
- ③「距離表 平成23年3月刊行」海上保安庁海洋情報部編 日本水路協会発行 2011年 (R558/Ka21)
- キーワード
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- 航海
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000179264