外務省記録「墨国内乱関係一件」及び「外国勲章本邦人ヘ贈与雑件 墨国ノ部」に関係史料が含まれており、そのうち主要なものは『日本外交文書』大正2年第一冊に採録されています。
メキシコ革命の勃発により、1911年(明治44年)11月、ポルフィリオ・ディアス(Porfirio Diaz)大統領による30数年にわたる独裁体制が崩壊し、米国に亡命していたマデロ(Francisco Indalecio Madero)が新大統領に就任しました。しかし、1913年(大正2年)2月9日、メキシコ市内で反乱が勃発すると、鎮圧を命じられた陸軍司令官ビクトリアーノ・ウエルタ(Victoriano de la Huerta)がマデロ大統領を拘束し、同22日、マデロは副大統領とともに殺害されてしまいました。
この間、身の危険を感じたマデロ大統領の夫人や父母などの親族は、日本公使館に庇護を求めました。これに対して堀口九萬一(ほりぐち・くまいち)臨時代理公使は、大統領の親族が日本公使館に保護を求めてきたのは「上下官民一般ニ当館ニ深ク同情ヲ寄セ厚ク敬愛ヲ表シ居ル」ことから「大ニ安全」と信頼したためであると外務本省に報告し、事態が収まるまでマデロ大統領一家を保護しました。
この堀口臨時代理公使の行為は、多くのメキシコ人から賞賛されるところとなり、1934年(昭和9年)には、堀口に対してメキシコ政府より「アステカ鷲勲章」が贈られました。