レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018/4/10
- 登録日時
- 2018/07/28 00:30
- 更新日時
- 2024/03/29 00:33
- 提供館
- 金沢市図書館 (2310230)
- 管理番号
- 玉川-000635
- 質問
-
解決
【昔の火の見櫓について】 明治時代の下堤町(しもつつみちょう)5は現在のどの辺りか。また、その近くに火の見櫓があったと聞いたが、どこにあったのか。
- 回答
-
①明治時代の下堤町5が現在のどの場所かを調べる。
『住居表示区域町名便覧』(11918000)p.38
旧下堤町は、現在の高岡町と武蔵町とわかる。
『金沢市住居表示新旧対照表 86-4』(11917852)p.1153-1167
『金沢市住居表示新旧対照表 86-7』(11917855)p.2068
該当ページに下堤町5は見当たらない。
旧下堤町55-5は、現在の武蔵町14-30の記載がある。
『金沢市詳細図 昭和38年版』(118407249)p.47
『金沢市住宅明細図 中央部版 平成29年版中』(118598006)p.186
で、質問者自身がおおよその場所確認をした。
②当時の火の見櫓について調べる。
当時金沢市内に3か所の火の見櫓があり、そのうちの1つが下堤町にあったと聞いたので、その場所を確認したいとのことだった。
『金沢市文化財紀要 146 金沢の共同井戸・洗い場・火の見櫓』(119622222)
p.27-34に現在の火の見櫓(警鐘台)の一覧が記載されている。p.36「〔参考資料〕火の見櫓略史」に「明治元年(1868)金沢藩が置かれたとき、江戸にいた火消しと藩の火消しの中から選んだ者を3組に分け、犀川大橋詰め、浅野川大橋詰、下堤町の3箇所で火の見櫓を立てて詰めた」とある。
『市史かなざわ 第1号』(119496762)p.132
浅野川大橋近くにあった明治時代の火の見櫓の写真が掲載されている。「同じものが犀川畔と下堤町にもあって」と記載もあり、当時の櫓外観はわかる。
下堤町に火の見櫓があったことは確認できたが、その櫓の具体的な番地等はわからなかった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000239663