レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/10/05
- 登録日時
- 2015/12/21 00:30
- 更新日時
- 2016/03/27 14:23
- 管理番号
- HC-15022011
- 質問
-
解決
千人同心の史跡をめぐってウォーキングをしたいので、それがわかるものがあるか。特に千人同心の屋敷のあった場所を知りたい。
- 回答
-
『八王子千人同心の群像』(1994年 八王子市教育委員会)によると、千人同心の母体となったのは甲斐武田氏の軍事集団で、武田氏が滅ぼされると德川家康の配下となり、甲武国境を警備する目的で八王子に移されたと伝えられているそうです。のちには日光東照宮の警備なども行ないました。その千人同心の屋敷があった場所がどこであるかについては、『江戸幕府 八王子千人同心』(1993年 雄山閣出版)p.22に、「千人町の甲州街道(追分から地蔵堂のあいだ)に沿って~(中略)~組屋敷同心屋敷があった」と書かれています。またp.202には松本旧宅地の地点を示す写真が載っています。『八王子の絵図Ⅰ』(2011年 八王子市教育委員会生涯学習スポーツ部文化財課 )の4番目には寛政元年(1789年)のものとされる地図があるほか、この地図を活字にした『八王子千人町拝領屋敷 図』(2010年 八王子千人同心旧交会)や、『千人のさむらいたち』(2003年 八王子市教育委員会 )p.10にも寛政元年の同じ地図の別の手書きの写しが掲載されています。これらの地図を現在の場所と照らし合わせると、追分と推測される地点から地蔵堂まで続く屋敷の場所が大まかにわかります。なお、この地蔵堂については、マップ『八王子遊歩まっぷ その3 八王子千人同心遊歩マップ』(2007年 (社)八王子観光協会)には「今の追分交差点から長房団地入口までの間、甲州街道の南側には、千人頭8家の屋敷(中略)が、北側や馬場横丁には同心の屋敷が並んでおり」とあります。この記述から、「追分から地蔵堂のあいだ」の地蔵堂は現在の地名で「長房団地入口」のあたりではないかと推測されます。『八王子千人同心史 通史編』(1992年 八王子市教育委員会)p.34~に「八王子宿の成立と同心の移住」として移住の経緯や大まかな場所の記述があります。屋敷跡をたずねるコースではないのですが、『歴史と浪漫の散歩道』(2006年 八王子市教育委員会 )p.19~追分町にある「千人同心屋敷跡碑」など千人同心ゆかりの史跡を訪ねるコースが載っています。「八王子発見」にも(1999年 揺籃社 )主にp.16~法蓮寺、念仏院、観音寺など、p.22善龍寺、p.26~宗格院、松本斗機蔵の墓、興岳寺など色々ゆかりの史跡が載っています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
-
- B11974247 八王子千人町拝領屋敷図 八王子千人同心旧交会 八王子千人同心旧交会 2010.7 20
- B12102513 八王子の絵図 Ⅰ 八王子市郷土資料館/編 八王子市教育委員会生涯学習スポーツ部文化財課 2011.10 291.3
- 八王子こどもレファレンスシート「千人同心」 http://www.library.city.hachioji.tokyo.jp/pdf/002.pdf 2015/10/5
- キーワード
-
- 史跡巡り 史蹟 旧跡
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000186095