レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年07月08日
- 登録日時
- 2016/07/08 13:21
- 更新日時
- 2016/12/15 11:50
- 管理番号
- 2015-11
- 質問
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解決
愛媛県松山市の「浅海」の地名の由来について知りたい。事前調査によると、「往古は一面海原であったが、地変によって原野となったため浅海と称したという」との情報を得ているが、地元の情報が知りたい。
- 回答
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以下の資料に関連の記述があった。
【資料1】「浅海村」の項に「本村は浅海本谷、浅海原の二大字より成り、(略)又浅海原は往古は一面海原なりしが、後ち地変によりて原野となりしかば、斯く称へ来りしと伝ふ」とある。
【資料2】「浅海 昔は海原だったが、地変により原野になったといいます。」(p149)とある。
【資料3】「浅海本谷 浅海は浅い海、本谷は集落の中心をなした大きな谷の意味であろう。」(p879)とある。
またこの地に居住していた浅海氏にちなむとする説もあった。
【資料4】「浅海本谷村」の項に「浅海の地名については「吾妻鏡」元久二年(一二〇五)の条に「頼季浅海太郎」とあり、河野通信麾下の部将としての活動が「予章記」上蔵院本の興国三年(一三四二)の条などにもみられる。南北朝時代河野氏が細川頼之と戦った時、浅海は両者の攻防の要地として着目された。三方を山に囲まれた地形によるものと思われ、恵良・高縄両城との連絡も容易であったからであろう。」(p314)
「浅海原村」の項にも同様の記述がある(p314-315)。
【資料5】「もともとは遠浅の海を指しますが、この地域から出た武将が浅海氏を名のったことにちなみます。」(p112)
また同書p140には【資料2】と同じ記述が掲載されている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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『角川日本地名大辞典 38 愛媛県』(角川書店)には、「往古は一面海原であったが、地変によって原野となったため浅海と称したという」とある。
- NDC
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- 日本 (291)
- 参考資料
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- 【資料1】『新編温泉郡誌 大典記念』(松田卯太郎/編 松山石版印刷所 1916年)<当館請求記号K293.4/2>
- 【資料2】『えひめ地名の秘密 地名でわかる愛媛の自然と合併の歴史』(土井中照/著 アトラス出版 2005年)<当館請求記号K290/ドア/2005>
- 【資料3】『北条市誌』(北条市誌編集委員会/編集 北条市誌編纂会 1981年)<当館請求記号K293.3/3>
- 【資料4】『日本歴史地名大系 39 愛媛県の地名』(平凡社 1980年)<当館請求記号K290/54>
- 【資料5】『松山新地名・町名の秘密』(アトラス出版 2014年)<当館請求記号K293.1/ドア/2014>
- キーワード
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- 浅海(あさなみ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000194463