レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年06月11日
- 登録日時
- 2010/09/09 15:09
- 更新日時
- 2018/08/31 17:50
- 管理番号
- 県立K2010-074
- 質問
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解決
戊辰戦争で牧野群馬が会津若松城攻略前に「ああ、われ死所を得たり。」といったらしいのですが、そのことについて書かれた本はないか。
- 回答
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※ 高知県立図書館・高知市民図書館合築に伴い、資料に関する情報が現在の情報とは異なる場合があります。 ※
●『無形 板垣退助』平尾道雄/著、高知新聞社、1974年
p.61「会津盆地を望んだとき、牧野は板垣にむかって『われ死所を得たり』と述懐した」とあります。
●その他の資料では、
『官軍諸道軍監 小笠原唯八』小笠原 のぶを/編 、 1967年
p.19 「あゝ、これ我が骨を埋むべきところ、今は死すべき時である」
『土佐戊辰戦争資料集成』林 英夫/編 、 高知市民図書館 2000年
p.629 「あそここそ、埋骨の地とするに愧じないぞ」
『土佐協会雑誌 61号』芝藤 徳/編 、 土佐協会 、1937年
p.33 「アヽ 是れ我埋骨の地、今日死すべきの秋なり」
『板垣退助君傳 1巻』栗原 亮一/編纂・ 宇田 友猪/編纂、 自由新聞社 1893年
p.332~333 「是れ我が埋骨の處、今まは死す可きの日なり」
『板垣退助君傳記 1巻(明治百年史叢書 第459巻 )』
宇田友猪/著 ・ 公文豪/校訂、 原書房 2009年
p.392 「これ我が埋骨の処、今は死すべき時である」
『戊辰役を語る(高知新聞連載)』昭和12年1月~連載
第89回・・・文中に次のように有り。→「あそここそ埋骨の地とするに愧ぢないぞ」と板垣に言った
とあります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
-
- 牧野群馬
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000071086