レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年03月21日
- 登録日時
- 2014/03/21 18:38
- 更新日時
- 2014/03/21 18:42
- 管理番号
- 20140321-2
- 質問
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解決
赤膚焼について知りたい。
- 回答
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赤膚焼 【あかはだやき】 コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E8%B5%A4%E8%86%9A%E7%84%BC (2014/03/21確認)
デジタル大辞泉
あかはだ‐やき【赤▽膚焼】
奈良市の五条山(赤膚山)付近で作られる陶器。遠州七窯(えんしゅうなながま)の一。天正年間(1573~1592)に始まるが、茶陶としては寛政以後。
大辞林 第三版
あかはだやき【赤膚焼】
奈良市近郊の五条山(赤膚山)で作られる陶器。創始期は不明。江戸後期に郡山城主柳沢尭山(1753~1817)が再興し,天保年間(1830~1844)に名工木白(もくはく)が出て名高くなった。遠州七窯の一。
日本大百科全書(ニッポニカ)
赤膚焼 あかはだやき
奈良市五条町で焼かれた焼物。赤膚焼の名は、五条山の別名赤膚山に由来し、五条焼ともいう。遠州七窯(えんしゅうなながま)の一つ。奈良市西京丘陵地帯は古来焼物の盛んな地で、平安京の瓦(かわら)をはじめ、中世では春日神人(かすがじにん)の赤白土器座の土器、火鉢、また茶の湯創始以降は土風炉(どぶろ)(奈良風炉)の製作などがなされていた。赤膚焼はこうした地に、初め天明(てんめい)年間(1781~1789)に民窯(みんよう)として興り、1796年(寛政8)ごろに大和郡山(やまとこおりやま)藩主柳沢堯山(ぎょうざん)が京都から召した陶工伊之助、治兵衛に五条村赤膚山に開窯させ御用窯とし、のちふたたび民窯に戻った。・・・
国史大辞典
赤膚焼 あかはだやき
奈良市五条山で焼かれる陶器。赤膚山焼・五条焼ともいう。伝えによると、天正年間(一五七三―九二)豊臣秀長が尾州常滑から陶工与九郎なる者を招き、五条山で開窯させたのがはじまりという。その後、正保年間(一六四四―四八)小堀遠州が遠州好七窯の一つとして茶器製作を奨励してから有名になったが、それ以前の作品ははっきりしない。寛政年間(一七八九―一八〇一)の末になって、大和郡山藩主柳沢保光(堯山)が五条山の雅名赤膚山にちなみ、作品に「赤膚山」「赤ハタ」の銘印を捺させた。これが赤膚焼と呼ばれるようになった起因である。さらにその名を高くさせたのは、天保年間(一八三〇―四四)に奥田木白が出て、盛んに色絵陶器を焼いてからのことで、彼の作品には、「赤膚山」印のほかに、「木白」印が捺されている。・・・
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 陶磁工芸 (751 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 赤膚焼
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000151053