レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2005年08月09日
- 登録日時
- 2005/08/09 18:35
- 更新日時
- 2014/07/10 17:38
- 管理番号
- 2005-0007
- 質問
-
解決
日本における最古の「広告」はどのようなものか。
- 回答
-
・当館のレファレンスでは、資料を通読しての調査は行ってないが、
所蔵参考資料の目次などから手掛かりになった項目を記す。
(2014.6月現在)
最古の「広告」には諸説あり。
①『大宝律令(701年)』の改訂版『養老律令(ヨウロウリョウ)(718年)』
の解説書『令義解(リョウノギゲ)(833年)』巻9「関市令(カンシリョウ)」に
よって規定された東西市の規定に「標(シルシ)を立て~」という
記載があり、これが広告(看板)のルーツとする説。
②紀貫之の『土佐日記(935年)』に絵看板について触れた一文が
あり、これが日本の広告のルーツだという説。
参考資料:請求記号順に列記
●請求記号:102-HAY
『江戸看板図譜』(林美一 著、三樹書房 発行、1977)
①の説→P.11 第一部 看板の系譜 暖簾から看板へ
わが国看板の嚆矢が、遠く奈良の平城京に設けられた
東西市で、『令義解(リョウノギゲ)(833)』の次のよう
な文章である。(略) と記載あり。
●請求記号:R102-OOB
『図説日本広告千年史-古代・中世・近世編-』
(大伏肇 著、日本図書センター 発行、1999)
①の説→P.8「三、政令広告の発生」より政令に基づく広告について
の記載あり。
以下本文抜粋。
官設の東西市には、わが国初の商業広告が行われた。
(略)
この両市を規定した『大宝律令(701年)』の改訂版
『養老律令(718年)』の解説書『令義解(リョウノギゲ)
(833年)』巻9「関市令(カンシリョウ)」には次の制度が定め
てある。(略)
市には肆(イチクラ 店舗のこと)毎に「標し」(看板)を立て、
行名(商品名)を明記する規定があった。
②の説→P.10「四、庶民広告の発生」より庶民が自主的に発した広告
についての記載あり。
以下本文抜粋。
『土佐日記(935年)』には、山﨑の里に、店家の立ち並ぶ
情景を次のように伝えている。(略)
『土佐日記』の一部に記された小櫃(オビツ)の絵看板は
わが国初の「店家(まちや)」広告であった。
官市にみられた上意下達の政令広告とは、根本的に趣を
異にするものであった。
●請求記号:102-TAK
『広告のルーツ』(高桑末秀 著、日本評論社、1981)
通説に疑義ありとして、様々な原史料・原典から「関市令(カンシリョウ)」の
解釈と考証を行い“広告の源流”を求めて歴史の探検をつづけた者
の報告書。
①の説→p.29~52「第一章 日本の広告のルーツ」
「一 通説によれば・・・」
本文抜粋
藤原京の東市と西市に建ちならぶ店が、それぞれ看板を
かかげたのが日本における広告のはじまり、ということ
になっている。これを通説とよぶのは、日本の広告史に
関する文献のほとんどがこの説にしたがっており、それ
以外の説は現在までのところ提示されていないからで
ある。といっても、残念ながら、この通説にはそれを
裏づける物的証拠が欠けている。
②の説→p.227~228「第七章 「関市令(カンシリョウ)」の空文化と広告の
誕生」
「七 商人勢力の伸長」
本文抜粋
われわれが探し求める日本最初の広告は、以上に概観した
ような移り変わり (略) のなかにようやく姿をあらわす。
935年、『土佐日記』の著者・紀貫之が、長岡京の玄関口と
して栄えた山崎の地で見かけた「小櫃(オビツ)の絵看板」と
「大きな釣針の実物模型看板」は、まさにその一例である。
→p.237~258 「第八章 『土佐日記』にあらわれる絵看板と
模型看板」
●請求記号:R102-UCH
『日本広告発達史 上』(内川芳美 編、電通 発行、1976)
①の説→P.3~4「1.商業の成立と広告の発達」に『令義解(リョウノギゲ)
(833年)』巻9「関市令(カンシリョウ)」に関する記載あり。
●請求記号:R102-YAM
『日本広告史』(八巻俊雄 著、日本経済新聞社 発行、1992)
①の説→P.15「2.広告主は市人から商人へ」に記載あり。
本文抜粋。
広告に関する記述で最も古いのは大宝律令(701)の中
「関市令(カンシリョウ)」で、ここに広告に関するきまりが
書かれていた。(略)
律令の解説書「令義解(リョウノギゲ)」には (略)
つまり市場では同種商品ごとに立札を立てて、
その商品の扱い業者である旨を書けというのである。
②の説→P.22に『土佐日記』の記載あり。
内容は『図説日本広告千年史』と同様であった。
●請求記号:102-YAM
『広告―ものと人間の文化史:130』(八巻俊雄 著、法政大学出版局 発行、2006)
①の説→P.1 第一章:大和時代の広告
市の誕生と広告
大宝律令に広告法規
広告ということばの歴史
→P.15 第二章:奈良時代の広告
市と広告〝標〟
平城京の東西市
日本最初の野外広告―木簡による告知札
●請求記号:136-FUN
『看板の世界』(船越幹央 著、大巧社 発行、1998)
①の説→P.72 「第3章 商店看板の歴史 看板のはじまり」
文献のうえで知られる看板に類する最初のものは、
『令義解(リョウノギゲ)(833)』に現れる。
と7行程度の記載あり。
●請求記号:136-MAT-0001
『江戸の看板』(松宮三郎 著、東峰書院 発行、1959)
①の説→P.15 わが国最初の看板
→P.22 市の起源
大宝律令に成文法的存在となって市場法が発布された。
と記載あり。
→P.23 わが国看板の嚆矢(コウシ)
→P.25 平城京の看板
●請求記号:146-KOU
『広告・CM雑学読本』(神足裕司 著、日本実業出版社 発行、1984)
②の説→P.49の「日本の広告のルーツは?」に、
『土佐日記』の中に絵看板について触れた一文に
ついての記載あり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 広告.宣伝 (674)
- 参考資料
- キーワード
-
- 広告
- 一番古い広告
- 大宝律令
- 令義解(リョウノギゲ)
- 関市令(カンシリョウ)
- 標(シルシ)
- 立札
- 土佐日記
- 絵看板
- 木簡
- 照会先
- 寄与者
- 備考
-
定番事例
このレファレンス事例は、2005年に登録した内容に追記・訂正を加え、2009年、2014年に更新しています。
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000023461