レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2014/06/06 00:30
- 更新日時
- 2019/09/11 00:30
- 管理番号
- M14060410469045
- 質問
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人造石工法(長七たたき)を発明した服部長七の岡山県での事績がどこか知りたい。
- 回答
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明治16年に一部が完成した吉備開墾社による呼松村外4カ村地先の海面干拓(明治17年の大海嘯によって破潰)である。『新修倉敷市史5近代上』(倉敷市、平成14年)P.204~206に記述がある。『新修倉敷市史11史料近代上』(倉敷市、平成9年)のP.581~583に記された史料中に服部長七の名が確認できる。『瀬戸内ミステリー 沈む島 消えた町』(吉沢利忠、山陽新聞社、昭和59年)のP.40~45にも記述があるが、こちらでは服部長七が服部長蔵と間違って記されているようである。この干拓に反対する呼松地区の漁民と吉備開墾社とで乱闘が起こり、これが「かめ割事件」として語り伝えられていると記されている。参考までに記しておくが、『福田町誌』(福田町誌編集委員会、昭和33年)のP.93~94に「呼松のカメ割事件」が記されているが、「明治13年9月、相手が藤田なにがし」となっている。両者とも同一の石碑について述べており、内容などに重複もあるようで、それらが同一の事件でどちらかに誤りがあるのか、また事件が2回起こったのか、それがはっきりしないので併記しておくのみにする。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 中国地方 (217 9版)
- 参考資料
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- 回答内容欄参照
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2014060410463769045
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000154032