レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/01/04
- 登録日時
- 2011/07/12 02:01
- 更新日時
- 2011/07/26 13:56
- 管理番号
- 埼熊-2011-003
- 質問
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解決
赤穂浪士の討ち入り当時の吉良邸付近の地図を見たい。
- 回答
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『図説忠臣蔵』には隅田川を中心とした吉良邸周辺の地図、『忠臣蔵の時代』には吉良邸を中心とした
範囲の狭い地図、『忠臣蔵百科』(泉秀樹著)には「討入り前の吉良邸付近見取り図」として、義士た
ちの集合場所とされる堀部・杉野宅を含む吉良邸の周辺地図等を紹介した。
『赤穂事件』(黒川一夫著 青史出版 2009)
p173「本所吉良邸付近(元禄15年、江戸大絵図)」あり。
文中に「吉良上野介義央、呉服橋門内から本所一ッ目回向院西側、旧松平登之助信望(松平伊豆守信綱の四男)邸へ屋敷替えを命ぜられる」とあり。
『復元・江戸情報地図 1:6500』(吉原健一郎[ほか]編集・制作 朝日新聞社 1994)
p68掲載地図のC-5からD-5あたりが吉良邸であるが、名前確認できず。(時代が異なる。元は本所絵図)
なお、p68右側の解説に「D5松坂町公園(両国三)に赤穂浪士討入吉良邸跡」という記載あり。
『嘉永・慶応江戸切絵図 江戸・東京今昔切絵図散歩 古地図ライブラリー 1』(人文社 1995)
p48-49「本所絵図」吉良邸の名前なし。※「本所絵図」は嘉永(1863年)
『図録忠臣蔵画報』(中山栄之輔著 河出書房新社 1999)
p25「本所一ッ目の吉良屋敷」周辺の地図あり。
p46-47「本所吉良屋敷の図」あり。屋敷のまわりの道の様子がわかる。
『忠臣蔵の時代』(日本放送出版協会 1998)
p51「吉良邸絵図」(赤穂浪士が入手した絵図面の一つ(大石神社所蔵))あり。
p52「本所吉良邸屋敷図」あり。
『図説忠臣蔵』(河出書房新社 1998)
p34「本所の吉良邸」図あり。元禄15年版「改撰江戸大絵図」(周辺の地図)
p35「吉良邸絵図」(冨森助右衛門が入手したものの写し。冨森富士夫氏蔵)あり。
『忠臣蔵 1』(赤穂市総務部市史編さん室編 赤穂市 1989)
p203に「図12 本所吉良邸付近図」あり。吉良邸の周りのみ。
『忠臣蔵 3』(赤穂市総務部市史編さん室編 赤穂市 1987)
p396に「吉良本所屋敷界隈図」(大石神社所蔵)が掲載されている。
『忠臣蔵百科』(泉秀樹著 講談社 1998)
p84に「討ち入り前の吉良邸付近見取図」(内海定治郎著「真説赤穂義士録」より)あり。
義士たちの集合場所とされる、堀部安兵衛宅・杉野十平次宅等場所を確認できる。
- 回答プロセス
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赤穂事件に関する図書を調査した。
江戸の古い地図が掲載されている図書を調査した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 『赤穂事件』(黒川一夫著 青史出版 2009)
- 『復元・江戸情報地図 1:6500』(吉原健一郎[ほか]編集・制作 朝日新聞社 1994)
- 『嘉永・慶応江戸切絵図 江戸・東京今昔切絵図散歩 古地図ライブラリー 1』(人文社 1995)
- 『図録忠臣蔵画報』(中山栄之輔著 河出書房新社 1999)
- 『忠臣蔵の時代』(日本放送出版協会 1998)
- 『図説忠臣蔵』(河出書房新社 1998)
- 『忠臣蔵 1』(赤穂市総務部市史編さん室編 赤穂市 1989)
- 『忠臣蔵 3』(赤穂市総務部市史編さん室編 赤穂市 1987)
- 『忠臣蔵百科』(泉秀樹著 講談社 1998)
- キーワード
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- 赤穂事件(1701~1703)
- 吉良 義央(キラ ヨシナカ)
- 東京都-古地図
- 210
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000088338