日中戦争の長期化とアメリカ、イギリスの対日経済圧迫の強化による物資の先細りが懸案となっていた日本は、南方進出に不足資源補充の活路を見いだそうとしており、その前提として南方への調査団派遣が急務となっていました。
外務省記録「仏領印度支那資源調査団派遣関係一件」によれば、1940年(昭和15年)9月、仏印(フランス領インドシナ)に農・林・鉱業等の専門家からなる調査団を派遣することが閣議で承認されました。これをうけて、翌1941年5月に締結された「日仏印経済協定」に基づき、同年9月、関係各省の技術官、民間の技術者および企業家からなる「仏印資源調査団」が組織され、10月より漸次派遣されました。重要必需物資の獲得のみならず、「邦人企業の強化拡充」の礎を築くことを目指したこの調査団は、横山正幸(元駐エジプト公使)団長のもと、農林、水産、塩業、鉱業、水力発電から衛生事情に至るまで幅広い分野にわたる調査を行い、その成果は分野ごとに詳細な調査報告書としてまとめられました。
なお、この調査団は、調査期間中に太平洋戦争が勃発したにもかかわらず、「仏印に特殊かつ豊富な資源」につき更なる調査を要するとして、戦争開始後も引き続き現地に滞在しました。調査を終えた全団員が帰国したのは1942年(昭和17年)6月のことでした。