レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年3月8日
- 登録日時
- 2015/11/20 17:41
- 更新日時
- 2015/11/29 15:04
- 管理番号
- 塩尻307
- 質問
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解決
満蒙開拓団に参加した塩尻の人について、大体の人数を知りたい。また、名簿はあるか。
- 回答
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大まかな人数でよいとの事だったので、塩尻市誌に記載されている人数(561人)と楢川村誌に記載されている人数(212人)をあわせ、約800人ほどと回答した。
名簿については、塩尻市(楢川村と合併前)の満蒙開拓犠牲者のものはまとめてあるが、生存者と楢川村の名簿についてはまとめられていなかった。
詳しく調べたい場合は『長野県満州開拓史 名簿編』をご覧いただくようご案内した。
- 回答プロセス
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【資料1】p374の表2・67(満州開拓団の団別団員数と死亡者数・昭和20年8月9日)に382人とある。p375の表2・68(満蒙開拓青少年義勇軍・義勇隊の団別数と死亡者数・昭和20年8月9日)に義勇軍の人数(179人)もあり。
同じページの表2・69(満州移民の送出町村別の小口)に戸数と人数が簡易にまとめられており、合わせると561人になる。
それぞれの表は【資料3】より作成されている。
【資料2】p649から満州移民と蘭花楢川村開拓団についての記述があり、p663の表・109(蘭花楢川村開拓団の戸口・昭和20年8月)に開拓団と勤労奉仕隊を合わせた在籍人数が212人とある。それ以外にも数名が別の開拓団として参加した記述があるが、人数がまとめられているものはなかった。表は『長野県満州開拓史 各団編』より作成されている。
【資料3】昭和20年8月9日現在、本籍地が長野県内にあった開拓団員、義勇隊開拓団員、義勇隊員および家族を各団ごとに記載している。
【資料4】満蒙開拓犠牲者の名簿が記載されている。『長野県満州開拓史 名簿編』をもとに、村・地区誌・役場名簿等他の資料を調査し確認して記載したとあるが、確認できない方があり、調査不十分で記載漏れの方もあるかと思われるとの注あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 中部地方 (215 9版)
- 参考資料
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【資料1】塩尻市誌編纂委員会 編 , 塩尻市. 塩尻市誌 第3巻(近代・現代). 塩尻市, 1992.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002229494-00 -
【資料2】楢川村誌編纂委員会/編集 , 楢川村誌編纂委員会 , 楢川村誌編纂委員会. 木曽・楢川村誌 4 近代編. 楢川村.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059085338-00 -
【資料3】長野県開拓自興会開拓史刊行会/編 , 長野県開拓自興会開拓史刊行会. 長野県満州開拓史 名簿編. 長野県開拓自興会開拓史刊行会, 1984.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I058748660-00 - 【資料4】塩尻市誌編纂委員会. 塩尻市の戦没者名簿・満蒙開拓犠牲者名簿. 塩尻市, 1993.
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【資料1】塩尻市誌編纂委員会 編 , 塩尻市. 塩尻市誌 第3巻(近代・現代). 塩尻市, 1992.
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000184264