レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016/12/15
- 登録日時
- 2016/12/17 00:30
- 更新日時
- 2017/01/04 15:31
- 管理番号
- 1000000887
- 質問
-
解決
首里城の復元に尽力した団体・個人について知りたい。
- 回答
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以下の資料を提供した。
①
『首里城復元期成会会報 第1号』(首里城復元期成会 [編]・刊、1982.9)
p8-9 「首里城復元について県職員と復元期成会役員との懇談会記録」で、p9 「城間文化課長 期成会の力を借りなければこの大きな構想の実現はまとまらない。首里城は国がやるのが当然であるが、私達が動かないと進展しない。」の記述がある。
②
『甦る首里城 歴史と復元』(首里城復元期成会 編・刊、1993.3)
p13 「発刊のことば」で、「山中貞則長官は首里城復元についても深い関心を示され、日本復帰記念事業として首里城歓会門の復元に総予算の九五パーセントという高額の補助をおつけになり整備されましたが、それが今日の首里城復元の諸となったことは申し上げるまでもありません。」の記述がある。
p16-18 「発刊を祝す 山中貞則」で、p6「昭和四十五年(一九七〇年)五月二十二日に、復帰に向けての県民の要望を聴取するため、沖縄に参りましたおり、琉球政府文化財保護委員会(委員長源武雄氏)との懇談会が東急ホテルで持たれました。」の記述がある。
p659-673 「四、首里城復元運動に貢献された方々」の章がある。
p660 「近代現代の首里城の修復、復元」の項目で、「今次大戦で壊滅した首里城正殿の復元については、山中貞則氏と植木光教氏のご尽力に負うところが多大である。」の記述がある。
③
『甦った首里城』(創立三十周年記念誌編集委員会 編、首里城復元期成会、2003.7)
p198-199 「首里城復元期成会の結成とその背景」の項目で、一九七二(昭和四七)年五月一五日に、沖縄県民待望の日本復帰の日を迎え沖縄県となった。これまで、琉球政府文化財保護委員会のもとで行われていた首里城復元推進事業は、本土復帰と同時に文化財保護委員会が解消し、首里城復元の事業および予算は全て県教育庁文化課に引き継がれた。そして新たに県教育庁の諮問機関として文化財保護審議会(会長豊平良顕会長)が発足した。」の記述がある。
p204-205 「首里城正殿復興再現の意義 鎌倉芳太郎」の項目がある。
p205-208 「首里城正殿復元の趣意 文化財保護委員長 源武雄」の項目がある。
p208-210 「首里城正殿を復元させよう 歴史家 比嘉春湖」の記事がある。
p210-211 「完全復元したい首里城 南方同胞援会長 大浜信泉」の記事がある。
p222 「『鐘声会』への協力依頼」の項目で、「一九八一(昭和五六)年の四月、源武雄氏は首里城復元期成会の再興について必死になって取り組まれた。まず、首里の有志が結集して結成された『鐘声会』(円覚寺の鐘を鳴らす会)の与儀清秀会長を訪ね協力方を要請した。『鐘声会』は昭和五四年に時の沖縄県知事西銘順治氏を尋ね、「首里城復元と沖縄総合文化センターを設置して貰いたい」と陳情しており、首里城の復元については志を同じくする団体である…」の記述がある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本の建築 (521 8版)
- 参考資料
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- 1 首里城復元期成会会報 第1号 首里城復元期成会∥[編] 首里城復元期成会 1982.9 K52/SH99/1 p8-9
- 2 甦る首里城 歴史と復元 首里城復元期成会∥編 首里城復元期成会 1993.3 K52/SH99 p13,16-18,659-673
- 3 甦った首里城 創立三十周年記念誌編集委員会∥編 首里城復元期成会 2003.7 K52/SH99 p198-199,204-211,222
- キーワード
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- 首里城
- 復元運動
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000203440