レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年12月06日
- 登録日時
- 2019/12/25 17:12
- 更新日時
- 2020/04/17 15:05
- 管理番号
- 島根郷2019-12-002
- 質問
-
解決
太平洋戦争中に戦地から流したヤシの実が数十年後に漂着したという「奇跡のヤシの実」について知りたい。
- 回答
-
当館所蔵資料より、下記の資料を紹介し回答。
資料1:
昭和51年3月11日14面「三十年ぶり故国の岸へ ヤシの実に託した『手紙』 出雲」。
第二次大戦末期に南方の島から戦友宛てに流したと思われるヤシの実が昨年(昭和50年)夏に、簸川郡大社町(現・出雲市大社町)の海岸に漂着。
ヤシの実に墨書されていた人物が出雲市に健在であることがわかった。またこのヤシの実を流した人物の妻が名乗り出た、という内容。
資料2:2003年8月15日付1面コラム「明窓」。
靖国神社博物館「遊就館」にヤシの実が展示されている、とあり。
内容は資料1と同じ。山之内氏の妻がヤシの実が手元に戻った翌年に靖国神社に託し、4年前に亡くなったとする。
資料3:p27-29「稲佐の浜に流れついた椰子の実-故郷への思いの一念-」(飯塚時峯)。
ヤシの実漂着と対面の経緯は資料1と同じ。
飯塚氏は衛生兵としてマニラ港に立ち寄ることが多く、「たまたま」マニラの船舶司令部に軍属として勤務していた同郷出身の山之内氏と知り合い、飯塚氏が内地帰還の都度、山之内氏の家族宛ての手紙を預かり転送していた、という。ヤシの実漂着のことが新聞報道されてから数年後に浪曲師の天津羽衣によって歌謡浪曲が発表され、出雲でも紹介された、としている。
(補足:インターネットで検索したところ「椰子の実慕情」という曲と推測される)
資料4:インターネット情報。靖国神社遊就館のHP。
「展示室のご案内」より「展示室16 靖国の神々1」に「戦後31年の歳月を経て故郷出雲に漂着した『奇跡の椰子の実』」として展示されている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 中国地方 (217 8版)
- 参考資料
-
- 【資料1】山陰中央新報マイクロフィルム
- 【資料2】山陰中央新報マイクロフィルム
- 【資料3】大社史和会 編,大社史話会.大社の史話 104号.1995 (当館所蔵資料 SZ29/タ/104 ※貸出禁止資料)
-
【資料4】靖国神社遊就館ホームページ「展示室のご案内」
https://www.yasukuni.or.jp/yusyukan/(最終確認:2020/1/5)
- キーワード
-
- 太平洋戦争
- 出雲市
- 靖国神社
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000271477