レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年05月23日
- 登録日時
- 2018/03/30 15:04
- 更新日時
- 2020/04/17 15:26
- 管理番号
- 島根郷2017-05-002
- 質問
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解決
終戦直後に、松江市に進駐してきた占領軍の宿舎に割り当てられた場所はどこですか。
- 回答
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当館所蔵資料より、下記の資料を紹介し回答。
資料1:p411-415「松江における進駐軍」。
昭和20年11月6日に「マッケンレー大尉の指揮する三か中隊約六百人が早暁六時五十四分松江駅に下車、徒歩で古志原連隊兵舎に入った」とあり。
またp413に「進駐軍の接収した家屋」一覧表があり、古志原町の旧兵舎が「進駐軍兵舎」を目的として接収されていることがわかる。
ほかには婦人部隊宿舎に殿町の個人邸、将校宿舎として日銀支店長行舎(殿町)、現・むらくも荘(殿町)、
個人邸(奥谷町、内中原町、南田町、新雑賀町)、司令官宿舎として西津田町の個人邸が、宿舎として接収されている。
資料2:p12-15「本県への進駐と受入れ態勢の整備」。
11月6日の朝、本県進駐の米軍、広島県尾道市駐屯第41師団162連隊の歩兵一個大隊約1千名が松江・出雲・浜田の三市へ進駐してきた。
松江進駐の約六百名は3回にわたって松江駅に到着し、「徒歩で駅通りから馬の背を経て、宿舎(元の松江連隊)に入った」とある。
また、連合軍の進駐部隊は、最初米軍(約千名)、英豪軍(約五百名)、次いで英印軍(約千名)で、
その進駐場所は元松江連隊、元浜田連隊、出雲市教育会館および直江飛行場の4か所であったとする。
資料3:p435-459「占領軍の進駐と警備」のうち、p441に「宿舎にあてられる松江市古志原町の空五七七部隊兵舎」とある。
またp443-444に「部隊及び諸機関進駐状況」として接収施設と進駐部隊名の一覧があり、
「松江市古志原町 元松江空五七七部隊」が宿舎として接収されていることがわかる。
以上より、進駐軍は松江市古志原町にあった歩兵第63連隊駐屯地の兵舎を割り当てられたと思われる。
しかし【資料3】にある「元松江空五七七部隊」宿舎が歩兵第63連隊駐屯地と同じであるかどうかはわからなかった。
- 回答プロセス
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『歩兵第六十三連隊史』には記載なし。
- 事前調査事項
- NDC
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- 海軍 (397 8版)
- 中国地方 (217 8版)
- 参考資料
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【資料1】松江市誌編さん委員会 編 , 松江市. 新修松江市誌. 松江市, 1962.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001042391-00 (当館請求記号 郷貸出217.3/マ62) -
【資料2】島根県 編 , 島根県. 新修島根県史 3. 臨川書店, 1984.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069447898-00 (当館請求記号 092/790/3※貸出禁止資料) -
【資料3】島根県警察史編さん委員会 編 , 島根県警察本部. 島根県警察史 昭和編. 島根県警察本部, 1984.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001738501-00 (当館請求記号 郷貸出317.7/シ/2)
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【資料1】松江市誌編さん委員会 編 , 松江市. 新修松江市誌. 松江市, 1962.
- キーワード
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- 進駐軍 占領軍
- 松江第六十三連隊
- 松江市古志原
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000233830