レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年08月01日
- 登録日時
- 2019/12/15 13:43
- 更新日時
- 2019/12/15 13:48
- 管理番号
- 市川20190801-02
- 質問
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解決
永井荷風は終焉地となった市川になぜ転居してきたのか。荷風本人の著作や評伝などで何か記載はないか。
- 回答
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以下の資料から荷風の市川への転居についての記載を確認することができる。
『荷風ノ散歩道』(市立市川歴史博物館 1990)
p.5「そして九月、従兄の杵屋五叟(大島一雄)が疎開していた熱海の木戸正の家に落ち着いた。しかし、ここでの生活も長くは続かず、翌昭和二一年一月、杵屋一家と共に市川の菅野の借家に移り住んだのである。」
『荷風と市川』(秋山征夫/著 慶應義塾大学出版会 2012)
p.21「(前略)家主の木戸から、この別荘を再び旅館として営業したいとして、年も押し詰まって荷風と杵屋一家は立退きを言い渡される。そこで、五叟が急遽、探し出したのが千葉県の市川の借家であった。年の暮れに引越し作業を始めた荷風は、昭和二一年一月一六日、杵屋五叟とともに市川に移ってきた。『日乗』にはこのあたりの詳しい記述はなく、彼の考えもわからない。」
『荷風晩年と市川 1946~1959』(橋本敏男/著 崙書房出版 2012)
p.62「この借家探しについて、養子の永井永光さんは次のように話す。「菅野の住まいは、兄・成友と国府台高等女子学校(現・国府台女子学院)の創始者である平田華蔵さんの娘さんとが、上野音楽学校(音大)で友人であったことから、先生(荷風)を連れて困っていると相談したところ、借家が六軒あるので、そのうちの一軒(菅野三丁目)を提供してくれる、ということになりました。(中略)このとき、荷風六十七歳。」
また、『荷風晩年と市川 1946~1959』には併せて、荷風の『断腸亭日乗』からの引用として、引越し初日はトラックが到着しないというトラブルに見舞われ、さらにその翌日に到着したトラックの荷物の一部が盗まれたという散々な引越しだった様子が記載されている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000270392