レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年01月01日
- 登録日時
- 2019/03/26 11:07
- 更新日時
- 2019/03/26 11:07
- 管理番号
- 市川20190101-02
- 質問
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解決
大正時代に総武線中山駅前にあった群芳園について、現在のどのあたりだったのかの資料がみたい。
- 回答
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質問者は『写真で見るわがまち市川 懐かしのふるさと150年』(中津攸子/監修 郷土出版社 2016) p.54を見て知り、他の資料を探している。
この資料には群芳園が明治の末に総武線中山駅前に開園した劇場、旅館、遊園地などを備えた大型のレジャーランドであると記載されている。総武線中山駅は現在の下総中山駅にあたり船橋市であるため“明治”“船橋”をキーワードに調査。
『絵はがき 写真に残された明治~大正~昭和』(船橋市郷土資料館 2005)p.17-18に「総武線中山駅前遊園地群芳園内」の絵はがき3枚が掲載され、p.89に「群芳園は国鉄総武線(現JR総武線)下総中山駅のすぐ北側(船橋市本中山2丁目の一画)にあった遊園地である。東葛飾郡葛飾村小栗原(船橋市本中山)の富豪斎藤甚之助が、失業救済のため小栗原の人々を雇って造成した施設で、園内には朱塗りの太鼓橋が架かる池や滝、舞台、料理屋、旅館などがあり、自転車競走も行われ、大変なにぎわいであったという。時期ははっきりしないが、明治44年(1911)ころに工事が行われ、大正中期を過ぎたころ閉園になったようである。」と記載あり。
また、『小栗原誌』(成瀬恒吉/著 本中山地区自治会町会連合会 1985)p.31-32に当時の詳しい様子の記載あり。
他に『船橋のあゆみ』(船橋市郷土資料館 2008)p.64、『東葛飾郡案内記』(神田未緑/著 川奈部書店 1914)にも同様の記載あり。
群芳園の住所は船橋市本中山2丁目であったことが判明したが、地図の掲載は無く、『船橋 1:25,000地形図 1917』(大日本帝国陸地測量部 1919)や『松井天山 千葉県中山町葛飾村鳥瞰図』(聚海書林 1989)では所在を確認できなかった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (09 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000253739