レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年6月21日
- 登録日時
- 2017/10/26 16:47
- 更新日時
- 2018/08/08 14:14
- 管理番号
- 20173mo034
- 質問
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未解決
熊本洋学校のL.L.ジェーンズの来熊時の道のりについて。
小島町の百貫石港まで船で来て、そこから陸路で熊本城内、現在の第一高校にあった洋学校まで行列があったようだ。陸上でとった道順を知りたい。
- 回答
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明治4(1871)年8月15日(もしくは9月26日)、百貫港に着き、ジェーンズは細川候より下賜された馬に乗り、妻子はそれぞれ駕籠(かご)に乗って出発。白川沿いに旧城まで向かい、常備軍2隊が石塘で合流。邸宅の準備が整っていなかったため仮屋に案内される。
……という流れは、複数の書籍から確認が出来た。道中については、夫人が本国宛てに書いた手紙から、駕籠の乗り心地が良かったことや、市中の庶民の様子が貧しく見えたこと、悠然と騎乗する夫の姿が凛々しく見えたことなどが読み取れるが、残念ながらたどった道順については、別資料の「白川沿い」しか見つけることは出来なかった。
当時の地図を元に、行列が通れるような大通りを地図上で一緒に辿ることで回答とした。
- 回答プロセス
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熊本県立大学/編『ジェーンズが遺したもの』熊日新書,2012 (0140356726) P17,50
ジェーンズが長崎から島原経由で熊本の海の玄関口であった白川・坪井川河口の百貫(石)港に着岸したのは明治四(1871)年の九月二十六日の未明とされている。もちろんジェーンズは瀬戸内海を経由した江戸・東京から長崎に来ている。
当時熊本の代表的な港だった百貫石港に到着したジェーンズ一家は、乗り物に乗り白川沿いに熊本城にやってきた。その道程でジェーンズは馬に騎乗、ジェーンズ夫人のハリエットと二人の子どもたちは藩主が使用していた駕籠に乗った。細川護久が用意したものである。このときの感想を夫人は回想の中で、「駕籠を担ぐ人には気の毒だったけれど乗り心地は大変良かった」と述べている。このジェーンズ一家の後に護衛の武士達、その後を市民が続き約四百メートルの行列ができ、外国人を初めて見る熊本の人たちが黒山の人だかりをつくった。「特に二人の子どもはみんなの興味を引いたようだ」とジェーンズは後に述べている。
九州文学記者/編『日本に於ける大尉ジェーンス氏』警醒社,1894(0110891132) P6
八月十五日百貫港に着す(熊本を距る三里余の所にあり)藩公之れに乗馬を賜う、氏乃ち之に乗し、夫人は籠に乗す、出迎いの人々興に百貫港を発す、常備軍の二隊ヂェンス氏を熊本の南端石塘と云える所に迎うデンス氏2隊の兵士に擁せられ、馬に跨り粛々として熊本に入り、古城の仮館に着しぬ。
朔風生/著『熊本洋學校1~24(5欠)』九州新聞大正10年11月19日~12月12日,2005(0118709906)〔九〕
八月十五日、為志はヂェーンス夫妻を伴い百貫港に着いた。ヂェーンスは細川家から賜うた馬に乗り、夫人は籠で熊本に入った。常備軍二隊が石まで出迎えた。まだ邸宅の普請が出来上がっていなかったので、夫妻は一先仮屋に落ち着いた。
L.L.ジェーンズ/著『ジェーンズ熊本回想』熊本日日新聞社,1978(0110207180) P6
(船旅から市中の様子など。夫人の本国に宛てた手紙からの抜粋)
潮谷総一郎/著『熊本洋学校とジェーンズ 熊本バンドの人びと』熊本年鑑社,1991(0114877921) P42
(『ジェーンズ熊本回想』からの引用)
『ジェーンズとハーン記念祭 報告書』ジェーンズ記念祭実行委員会,1992(0115280521) P307
(上記のものを要約した文章になっている)
田中啓介/編『熊本英学史』本邦書籍,1985(0111972733) P95
(『ジェーンズ熊本回想』の要約に近い)
【参考文献】
『五高五十年史』P60 明治初年の古城略図
『新熊本市史 別編第1巻 絵図・地図上 中世・近世』
P15 5.肥後国(元禄国絵図部分) 小島~城下概略 元禄14(1701)年推定
P33 14.熊本惣絵図 城下 天保14(1843)年~文久2(1862)年推定
P35 15.熊本府の絵図 城下 安政4(1857)年以降推定
『新熊本市史 別編第1巻 絵図・地図下 近代・現代』
P38 137.熊本県管轄肥後国 飽田郡小島村
P38 138.熊本県管轄肥後国 飽田郡小島町村
P93 233.熊本全図(明治13年) 城下やや詳細 明治13(1880)年
他、特別の記載はなかった資料
重久篤太郎/著『お雇い外国人 14』鹿島出版会,1976 (0110207206) P14
田中啓介/著『文学の旅ジェーンズ探しの旅』熊本日日新聞情報文化センター,2000(0117274308)及び、続巻
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289)
- 参考資料
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- 熊本県立大学/編『ジェーンズが遺したもの』熊日新書,2012 (No.0140356726 C283/ジ/ P17,50)
- 九州文学記者/編『日本に於ける大尉ジェーンス氏』警醒社,1894 (No.0110891132 C283/シ/ P6)
- 朔風生/著『熊本洋學校1~24(5欠)』九州新聞大正10年11月19日~12月12日,2005 (No.0118709906 C372.1/サ/ 〔九〕)
- L.L.ジェーンズ/著『ジェーンズ熊本回想』熊本日日新聞社,1978 (No.0110207180 C283/ジ/ P6)
- 潮谷総一郎/著『熊本洋学校とジェーンズ 熊本バンドの人びと』熊本年鑑社,1991 (No.0114877921 C283/シ/ P42)
- 『ジェーンズとハーン記念祭 報告書』ジェーンズ記念祭実行委員会,1992 (No.0115280521 C283/シ/ P307)
- 田中啓介/編『熊本英学史』本邦書籍,1985 (No.0111972733 C372.1/タ/ P95)
- 第五高等学校開校五十年記念会/編『五高五十年史』第五高等学校,1939 (No.0111008181 C376.7/タ/ P60)
- 新熊本市史編纂委員会/編『新熊本市史 別編第1巻 絵図・地図上 中世・近世』熊本市,1993 (No.0119477214 C210A/シ/1-1 P15,33,35)
- 新熊本市史編纂委員会/編『新熊本市史 別編第1巻 絵図・地図下 近代・現代』熊本市,1993 (No.0119477222 C210/A/シ P38,93)
- キーワード
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- L.L.ジェーンズ
- ジェーンズ
- 大尉ジェーンス
- 熊本洋学校
- 洋学校
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000223937