レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年12月10日
- 登録日時
- 2017/12/10 13:34
- 更新日時
- 2017/12/24 09:43
- 管理番号
- 広県図20170009
- 質問
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解決
宮島はいつから観光地になったのか。
- 回答
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古くから厳島信仰の対象であったが,江戸時代に日本三景のひとつとされ,「名所記」等でその景観が広く知られるようになった。また,明治・大正時代に宮島に訪れた外国人による紀行文や絵画で世界にも知られるようになった。
(【 】内は,当館請求記号。)
1 景観(日本三景・宮島八景)
『宮島町史 資料編・地誌紀行1』宮島町/編集,宮島町,1992【H21.22/ミヤシ92/2-2-1ア】
p.15「『日本国事跡考』(本朝事蹟考)は、寛永二十年(一六四三)八月十三日に(略)現在,日本三景と称される松島・天の橋立・厳島の三カ所を「奇観の処」として数え上げた最初の文献と考えられています。」
p.17「正徳四年(一七一四)厳島の景勝地から八景が選定され、和歌・漢詩・発句・俳諧を詠んで『厳島八景』として出版されたのは、元文四年(一七三九)のことです。」
『日本三景への誘い:松島・天橋立・厳島』島尾新,奈瀬川成一/編,清文堂出版,2007【721/107シ】
p.65-73 鈴木浩平「浮世絵にみられる日本三景」
『宮島学』県立広島大学宮島学センター/編,渓水社,2014【H291.22/ケンリ114ア】
p.111-130 柳川順子「「宮島八景」文芸と柏村直條」
p.111-113 「厳島八景」とは何か
p.130「『厳島八景』は、多くの読者を獲得してそれ自身が版を重ねたばかりではなく、そこに見える絵柄や文面が、大衆的な印刷物である「絵図」や「略縁起」の中に取り込まれ、この島を訪れた人々のみやげ物として広く世の中に流布していった。各地でそれを手にした人々は、まだ見ぬ宮島の景観を思い浮かべ、自分もいつかここに遊んでみたいと願ったことだろう。」
2 紀行文
『宮島町史 資料編・地誌紀行1』宮島町/編集,宮島町,1992【H21.22/ミヤシ92/2-2-1ア】
p.15「幕府や藩によって地誌が編さんされる一方で、諸国の名所案内や地誌的な内容をもつ「名所記」が出版されるようになります。(略)そしてこれらの「名所記」は、人々を寺社めぐり・名所めぐりなど物見遊山の旅に誘う契機となったと考えられます。『安芸国厳島景勝図并記事』・『厳島道芝記』がこれにあたります。」
p.16「[京都の書肆が]宝永八年(1711)貝原益軒の『京城勝覧』(京都めぐり)を携帯に便利な中本(ちゅうほん)仕立てで上段に説明、下段に挿絵という体裁で出版したところ、評判になったようです。これをうけて、芳野山・丹後国橋立・陸奥国松島・安芸国厳島・平安城図(未刻)が(略)『本朝四勝地』として合冊されました。(略)厳島が挿絵に描かれ,和文体の記事とともに出版された最初のものであり,これによって多くの人々に厳島が親しまれる契機となったと考えられます。」。
『厳島研究:広島大学世界遺産・厳島-内海の歴史と文化プロジェクト研究センター研究成果報告書 第4号』世界遺産・厳島-内海の歴史と文化プロジェクト研究センター/編集,世界遺産・厳島-内海の歴史と文化プロジェクト研究センター,2008【H20.22/タイカ1/V.4】
p.9-23 中山富広「近世厳島研究序説:その経済的基盤と観光産業」
p.9「表1 厳島の記述がみられる近世の紀行文一覧」
p.17 案内書の成立
「近世において厳島が信仰の島から観光の島へと、次第に性格が変わっていったと大雑把にとらえることに異論はないであろう。(略)いずれにしても一七世紀後半以降、社寺という聖地に景観を重ね合わせた三景が定着していった背景には、聖地参詣という行為のほかに、観光=娯楽という観念が成立していたことを示しているのではなかろうか。」
中西僚太郎「近代日本の景勝地の鳥瞰図に関する歴史地理学的考察」(『人文地理学会大会 研究発表要旨』2009(0), 2-2, 2009) https://www.jstage.jst.go.jp/article/hgeog/2009/0/2009_0_2/_article/-char/ja/(最終確認日:2017年12月20日)
p.13-14 厳島の事例
p.15 表1 発行年次別にみた鳥瞰図・案内記・写真帖の作成状況
『宮島学』県立広島大学宮島学センター/編,渓水社,2014【H291.22/ケンリ114ア】
p.175-193 天野みゆき「外国人が見た明治・大正時代の宮島」
p.177「当時外国人旅行者に愛用されたガイドブックの一つ、マレー社の日本旅行ハンドブックからもうかがわれる。これに宮島が掲載されたのは、一八九一年(明治二十四)出版の『日本旅行案内』(A Handbook for Travellers in Japan)第三版からである。」
p.178-193 旅行記が語る宮島
※エドワード・S・モース『日本その日その日』(1917),フランツ・フェルディナント『オーストリア皇太子の日本日記:明治二十六年夏の記録』(1895-96),エリザ・シドモア『不朽の島』(1896),ハーバート・G・ポンティング『この世の楽園 日本』(1910),フランスの画家マテュラン・メウの旅日記(1914来日)を取り上げている。
3 厳島信仰について
『厳島信仰事典』野坂元良/編,戎光祥出版,2002【R175.9/102ノ】
p.54-77 松岡久人,後藤陽一「厳島信仰の歴史」
『広島県史』(全28冊)広島県/編,広島県,1972-1984【H21/H73-3/ 】
「総説編」,「原始古代編」・「中世編」,「民俗編」の各編に関連記述あり。
4 参詣
『安芸厳島社』松岡久人/著,法蔵館,1986【H17.22/マツヒ86イ】
p.43-93 平氏の厳島信仰
p.49「表1 平清盛の厳島参詣年次一覧」
p.51「厳島信仰は清盛一門の人々にも広く及んだ。」
p.54「これに続いて公家貴族の厳島参詣が一種の流行となった。」
『中世瀬戸内海の旅人たち』山内譲/著,吉川弘文館,2004【217.4/104ヤ】
p.7-51 厳島参詣の旅
p.9-25 高倉院の厳島参詣
p.26-51 足利義満の西国遊覧
5 交通の発達
中西僚太郎「近代日本の景勝地の鳥瞰図に関する歴史地理学的考察」(『人文地理学会大会 研究発表要旨 2009(0), 2-2, 2009』)
p.14「1895年に集中的に多くの図が作成されているのは,1893(明治26)年に大阪商船による大阪-赤間関線が厳島に寄航を始め、厳島が定期航路によって結ばれるようになったことや、山陽鉄道が1894(明治27)年に広島まで開通したことにより、関西方面から厳島への交通が飛躍的に便利になり、観光客が増加したことが影響していたと考えられる。」
p.15「表1 発行年次別にみた鳥瞰図・案内記・写真帖の作成状況」
『大阪商船株式会社五十年史』大阪商船株式会社/[編],1934【683/Ka51】
p.119-126 山陽航路
6 神社参拝以外の来島の目的
『厳島信仰事典』野坂元良/編,戎光祥出版,2002【R175.9/102ノ】
p.24-53 野坂元臣「「厳島信仰」七つのキーワード」
p.47-50 舞楽・能・宮島芝居
p.48-49「近世に入っても、広島藩主浅野氏の庇護のもと能奉納は続けられ、広島藩お抱えの能役者によって喜多流の能が奉納されるようになり、(略)「…見物の諸人おびたゞし」と描写されています。(略)またこの頃になると、民衆の厳島参詣が盛んになり、人々を引きつけるため、富くじ興業なども行われるようになりました。」
p.155-167 佃雅文「江戸期の宮島参詣」
p.156-160 来島の時期と地域
p.160-167 旅の目的と行動
『安芸厳島社』松岡久人/著,法蔵館,1986【H17.22/マツヒ86イ】
p.229-242 庶民信仰と厳島文化
p.232「厳島は戦国時代、(略)商工業者・交通運輸関係者など町衆の住む商業・交通の要地として栄えた。しかも、戦国時代大内氏の本拠地山口が、大内氏の繁栄と文化の奨励にともない西の文化都市の名声を高めたので、貴紳らの京都・山口間の往来が多くなりその途中で厳島に滞在するものが多く、(略)」
p.234-235「表12 戦国時代における中央文化人の厳島来訪一覧」
『日本三景への誘い:松島・天橋立・厳島』島尾新,奈瀬川成一/編,清文堂出版,2007【721/107シ】
p.108-117 高橋修三「厳島の芝居をめぐって:市・芝居、そして富籤」
『厳島研究:広島大学世界遺産・厳島-内海の歴史と文化プロジェクト研究センター研究成果報告書 第4号』世界遺産・厳島-内海の歴史と文化プロジェクト研究センター/編集,世界遺産・厳島-内海の歴史と文化プロジェクト研究センター,2008【H20.22/タイカ1/V.4】
p.9-23 中山富広「近世厳島研究序説:その経済的基盤と観光産業」
p.14-20 観光地厳島と富くじ
『宮島学』県立広島大学宮島学センター/編,渓水社,2014【H291.22/ケンリ114ア】
p.85-110 樹下文隆「中世の厳島と能楽:能役者の厳島訪問と島内の能座について」
- 回答プロセス
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1 観光地の定義を調べる。
『広辞苑』新村出/編,第6版,岩波書店,2008【R813.1/108シ】
p.628 観光「<-地>名勝や史跡、温泉などに恵まれ、多くの観光客が集まる土地。」
※ 観光客の意味なし。
『観光・旅行用語辞典』北川宗忠/編著,ミネルヴァ書房,2008【R689/108キ】
p.58 観光地
「観光資源や観光施設が一定のまとまりで集積し,それを見たり,体験するために人が集まるところ。(略)観光地はおおむね、中核となる観光資源や観光魅力によって,都市観光地,自然風景観光地,温泉観光地,(略)に分けることができる。」
2 宮島(厳島)と観光に関する文献を探す。
国立国会図書館サーチやCiNiiで「宮島(厳島)」と「観光」のキーワードで検索し,ヒットした論文を調べた。
『瀬戸内観光地域の形成と変容 : 宮島としまなみ海道を事例として』淺野敏久, フンク・カロリン/著,(総合地誌研研究叢書 ; 36)http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/00025800(最終確認日:2017年12月20日)
p.13「名所をパッケージ化した「厳島八景」を売り出したことを始め,林春徳のわずかな記述が「日本三景」として一人歩きするようになると,その一つとして,人々の想像をふくらまさせ,いつかは訪れてみたいと思わせる景勝地となった。」
※p.94 注7)「林春徳の『日本国事跡考』に「松島,此島之外有小島若干。殆如盆池日波之景。境地之佳輿丹後天橋立、安芸厳島為三処奇観」とあり,これが日本三景の由来とされる(町立宮島歴史民俗資料館)。」
3 宮島に関する基本的な資料を調べた。
2の論文の記述を補足するため,『広島県史』,『宮島町史』,『厳島信仰事典』等を調査した。
1~3の調査により,宮島に来島する目的を,①厳島信仰(厳島参詣),②瀬戸内海航路上の商業取引,③観光の3点に整理して資料を探した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291)
- 観光事業 (689)
- 参考資料
- キーワード
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- 宮島
- 観光地
- 厳島神社
- 厳島信仰
- 日本三景
- 紀行文
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000226167