レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008/12/21
- 登録日時
- 2009/04/23 02:11
- 更新日時
- 2009/04/27 14:40
- 管理番号
- 埼熊-2008-112
- 質問
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解決
熊谷堤の作られた時代(年)を知りたい。
- 回答
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熊谷堤については、荒川堤との範囲が判然しない。そのため築堤年代も確定しない。記述のあったおもな資料を以下に紹介する。
『新編武蔵風土記稿 11』に「天正2年(1574)小田原北条氏より、築かしめし堤。」と記述がある。
『荒川下流誌 本編』に、「熊谷堤・荒川堤は、いつ頃築かれたのかよくわかっていないが、熊谷堤の完成年度は、元禄-享保年間頃(1688-1736年)と言われている。」とあり。
国土交通省荒川下流河川事務所《荒川流域のポータルサイトARA》の〈荒川の資料の参考書7洪水のある暮らし〉の「日本堤・隅田堤による狭窄部と遊水地」図内に堤の区分けあり。「隅田川右岸に日本堤、左岸に墨田堤と熊谷堤/荒川堤を築く」とあり。
(http://www.ara.go.jp/category/13_data/history/sanko_07.html 2008/12/21最終確認)
- 回答プロセス
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『やさしい熊谷の歴史』に、「熊谷堤の基は天正2年(1574)鉢形城主北条氏邦によって築かれ」とあり。「北条堤」とも。当初は現熊谷市内のみ。「また天正19年(1591)3月忍城主松平家忠は、北条堤に続く熊谷堤50間(90メートル)をつくり」「熊谷堤はその後もだんだん整備され、天保2年(1831)にはその長さが3里(12キロメートル)もあったと記録にあり」とあり。
『埼玉県内に残る旧堤の調査研究報告書』も前記資料と同内容。
『新編武蔵風土記稿 11』「忍領」の「堤」の項に、「天正2年小田原北条氏より、築かしめし堤」とあり。
『新修足立区史 下』に、「天正2年(1574年)小田原北条氏によって熊谷、久下にわたって築造されたいわゆる熊谷堤」とあり。
『熊谷市郷土文化会誌 24号』「熊谷堤」に「此地は今から377年前(天正2年)荒川水防の堤として築かれたものであったが、阿部忠秋、忍城主となった寛永年間(320年程前)荒川の流身が南に移った為改修移築された」とあり。
『熊谷市史 前篇』に、「熊谷堤が築かれたのは、天正2年(1574)当時の領主、小田原北条氏で」とあり。
『武蔵国郡村誌 9』「荒川堤」に、「此堤は天正2年小田原北條氏より築かしめし由云伝へり熊谷堤と称するもの是なり」とあり。
『荒川下流誌 本編』に、「熊谷堤・荒川堤は、いつ頃築かれたのかよくわかっていないが、熊谷堤の完成年度は、元禄~享保年間頃(1688~1736年)と言われている。」とあり。
- 事前調査事項
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「荒川の治水翁斎藤祐美」に「江戸を洪水から守る戦略」の章あり。徳川家康が荒川の水を江戸にひき、洪水を防ぐために日本堤・隅田堤を築いたとの記述。熊谷堤・荒川堤・墨田堤・日本堤の図あり。明治43年の洪水。ただし、熊谷・荒川堤については説明なし。
調査済み資料:「台東区史 通史編1・2」「墨田区史 前史、上・下」
- NDC
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- 河海工学.河川工学 (517 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
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- 『やさしい熊谷の歴史』(中島迪武 熊谷中央ライオンズクラブ 1990)
- 『新編武蔵風土記稿 11』(雄山閣 1977)
- 『新修足立区史 下』(東京都足立区 1967)
- 『熊谷市郷土文化会誌 24号』(熊谷市郷土文化会 1971)
- 『埼玉県内に残る旧堤の調査研究報告書』(彩の川研究会 2002)
- 『熊谷市史 前篇』(熊谷市 1963)
- 『武蔵国郡村誌 9』(埼玉県立図書館 1954)
- 『荒川下流誌 本編』(リバーフロント整備センター 2005)
- キーワード
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- 堤防
- 荒川
- 熊谷堤-埼玉県-東京都-歴史
- 治水-治水誌
- 郷土資料
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000054119