レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009/03/25
- 登録日時
- 2009/06/19 02:11
- 更新日時
- 2009/06/26 14:12
- 管理番号
- 埼久-2009-005
- 質問
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解決
「羽根倉道」の経路を知りたい。
- 回答
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「羽根倉道」は鎌倉街道の枝道であり「奥州脇道」とも称され、所沢から大宮を経由して加須へ至るという。以下の資料に各地に残る伝承を元に記述した経路および地図が掲載されている。
『県内鎌倉街道伝承地所在確認調査報告書』
『所沢市史 上』
『新座市史 5 通史編』
『埼玉県入間東部地区の歴史の道 入間東部地区文化財調査報告書2』
- 回答プロセス
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《Google》を〈鎌倉街道 & 羽根倉道〉で検索し、関連サイトから経由地や概要の情報を得る。
埼玉関係の地名辞典、鎌倉街道関係図書、経由市町村の歴史・地誌関係資料にあたる。
『県内鎌倉街道伝承地所在確認調査報告書』
「所沢市において鎌倉街道上道から別れ、県南部を北東に進み、荒川を渡り大宮台地に 沿い北上する街道は、奥州脇道とも羽根倉道とも称されている。」「今回の調査で各市町村から提出された伝承路をつなげたものが後出の地図に示したもの」
経路説明あり。地図(冊子中に掲載および1枚ものの付録地図)には赤線で経路図示されている。
『所沢市史 上』
p465〈第二節 鎌倉街道〉の〈羽根倉道〉の項に、経路と起源・史実について記述あり。
「所沢市内では…開発が進んでしまったので必ずしも明確ではない。しかし伝承を頼りにルートを考えると…」
『新座市史 5 通史編』
p163〈新座郡の鎌倉街道〉の項に「これを羽根倉道と称する。これこそ奥州兵乱の「中路」すなわち中つ道だったといえる」として、歴史的事象や簡単な経路説明あり。
p158「図表4-1 中世新座周辺の地名・武士名分布図」に経路が線で図示されている
『埼玉県入間東部地区の歴史の道 入間東部地区文化財調査報告書2』
p68「道と建造物」伊藤正和の〈奥州脇道(俗・かまくら道)〉の項に経路説明あり。文中に「奥州脇道(羽根倉道)」とあり。
p73 経路を図示した簡単な地図あり。
一枚物の付図にも経路あり。
インターネット上の個人のWebサイトに、羽根倉道(付近)をたどったレポートや写真・地図が掲載されているものがあったので参考までに紹介した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 交通史.事情 (682 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
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- 『県内鎌倉街道伝承地所在確認調査報告書』(埼玉県立歴史資料館 埼玉県教育委員会 1982)
- 『所沢市史 上』(所沢市 1991)
- 『新座市史 5 通史編』(新座市 1987)
- 『埼玉県入間東部地区の歴史の道 入間東部地区文化財調査報告書 2』(入間東部地区文化財保護連絡協議会 1993)
- キーワード
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- 埼玉県-交通-歴史
- 羽根倉(ハネクラ)
- 道-鎌倉街道
- 所沢-大宮-加須(カゾ)-埼玉県
- 郷土資料
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000055815