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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000199382
提供館
(Library)
いわき市立いわき総合図書館 (2310140)管理番号
(Control number)
いわき総合-地域456
事例作成日
(Creation date)
2016年11月08日登録日時
(Registration date)
2016年11月08日 15時44分更新日時
(Last update)
2016年11月12日 15時53分
質問
(Question)
いわきに存在していた特攻隊の「嵐部隊」について知りたい。
回答
(Answer)
いわき市に存在していた「嵐部隊」とは、小名浜に基地があった、第十七特攻隊・第一三八震洋隊です。
隊長は、渡辺剛州(よしくに)中尉と隊員50人の計51名です。
「震洋」26隻、「海龍」10隻を配備していました。
回答プロセス
(Answering process)
いわき市に存在していた「嵐部隊」とは、小名浜に基地を持っていた、第十七特攻隊・第一三八震洋隊です。

【資料①】『海軍の神風特別攻撃隊 いわき市小名浜にあったことを知る人も少ない』(1114614322-AL-210.7-1-ウ)(P6)によると、隊長は、渡辺剛州(よしくに)中尉と隊員50人の計51人とされています。
【資料①】(P9~)、【資料⑩】『アジア歴史資料センター 17嵐部隊』より、配備されていた兵器は、「震洋」26隻、「海龍」10隻とされています。

特攻兵器に関しては、
【資料②】『大本営海軍部・聯合艦隊 6』(1111092043 -391.2-セ-45)(P.321~)
【資料⑪】「震洋」( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%87%E6%B4%8B )〔最終アクセス2016/11/8〕
【資料⑫】「海龍(潜水艇)」( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E9%BE%8D_(%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E8%89%87) )〔最終アクセス2016/11/8〕
に記載があり、【資料③】『図説帝国海軍特殊潜航艇全史』(1113319204-SS-556.9-オ)には、「海龍」の写真と設計図が載っています。
まず、「震洋」とは、「モーターボートに爆薬を装備して敵艦に激突させる」兵器であり、緑色に塗っていたため、『アオガエル』と隊員の間で呼ばれていました。
次に、「海龍」に関しては、本土防衛用に製造された小型の潜水艦であり、敵船に魚雷を撃った後に、さらに接近し先頭についた爆弾で体当たりをすることで損傷を与える兵器です。

【資料④】「いわき民報」(昭和49年8月13日 2面)に『終戦秘話『嵐部隊物語』』といった全15回のコラム形式の記事が載っています。その中のコラム⑮に「特殊潜航艇が自爆!」という記事があります。
これに関しては、【資料①】(P22~23)「町では終戦を信じない特攻員が特殊潜航艇で自爆したという噂が流れた。」「東京の一家を亡くした特攻員が敗戦の絶望感とそれに同情した部下の兵がともに自爆したと、今だに自殺説が尾を引いている。」と記述があります。

その他、「いわき民報」において関係があると思われる記事として、
【資料⑤】「いわき民報」(昭和27年2月15日 第2面)に、「十九隻の“特潜”何處へ」といった記事があり、「特潜は十九㌧、スクラップ(鉄屑)にしてざっと二十万」と大きな資金になるため東北海運局小名浜支局が東北財政部からの依頼で引き上げを行いましたが、その時には1隻も見つかりませんでした。
次に、【資料⑥】「いわき民報」(昭和53年10月5日 第11面)に、『出撃中止で生き残った特攻隊』といった記事があり、それによれば「いわき小名浜にも「嵐部隊」が配備された。同部隊で生死を誓い合った当時十七、八歳の少年たちが十一月七日夜、三十三年ぶりに再会」とのこと。
また、【資料⑦】「いわき民報」(昭和54年2月2日 第2面)に、「三回あった特攻出撃命令 嵐部隊の再開から分かる」といった記事があり、それによれば「二十年七月十七日の茨城県日立市に艦砲射撃を加えていた敵艦への体当たり(実質中止)の一回だけだったが、実は前後に二度あった。」とのこと。
最後に、【資料⑧】「いわき民報」(昭和54年8月8日 第14面)に、「嵐特攻隊員が戦友会 5日懐かしの小名浜で」といった記事があり、「嵐部隊の戦友会が五日、小名浜・富ヶ浦公園いわきの旅館萬里荘で開かれた。」とのこと。

いわき総合図書館に所蔵している資料以外の「嵐部隊」に関係する本について、【資料⑨】『学び・調べ・考えよう フィールドワーク 茨城県の戦争遺跡』といった本があり、「平潟」「震洋」についての記述がありました。

Webページにおいて、「一三八部隊」「震洋」と検索すると、
【資料⑬】「震洋特別攻撃隊」( http://www.geocities.jp/bane2161/sinyou.html )〔最終アクセス2016/11/8〕
というページがヒットしそれによると、「第一三八震洋部隊は小名浜から訓練のため平潟に回航され、この地で訓練を行った。実際に出撃したことはなく、昭和20年9月20日に解散。」との記述がありました。
その他には、【資料⑭】「<茨城の戦争遺跡>~海軍特攻艇『震洋』平潟基地~」( http://blogs.yahoo.co.jp/maxspeed1000km/57394105.html )〔最終アクセス2016/11/8〕
【資料⑮】「海軍特攻艇「震洋」平潟訓練基地」( http://blogs.yahoo.co.jp/totsukendd74taipu/15992203.html )〔最終アクセス2016/11/8〕

データベース「聞蔵Ⅱビジュアル」を使用し、「震洋」「小名浜」「平潟」と検索。
【資料⑰】「朝日新聞」(2015年8月14日 朝刊21ページ 茨城)に『雑草の奥に特攻遺構』という記事があり、それによれば、「45年7月17日、日立市の軍需工場を狙った米軍による沖からの艦砲射撃で、138部隊に出撃命令が下った。ところが部隊長が上官に対し「出撃は無駄かと存じますが」と進言し、そのまま出撃することなく終戦を迎えたという。」とあります。
その他に、【資料⑱】「朝日新聞」(2006年8月17日 朝刊29ページ 茨城首都圏)に『特攻基地北茨城に』という記事があり。
次に、【資料⑲】「朝日新聞」(2011年8月16日 朝刊27ページ 福井全県)に『今も刻む 申し訳なさ』といった記事がありました。

データベース「ヨミダス文書館」を使用し、「震洋」「小名浜」「平潟」と検索。
【資料⑳】「読売新聞」(2000年7月18日 東京朝刊 茨城東 29項)に『日立沖で米艦隊への特攻作戦 「出撃しても無駄」 上官に直訴し隊員救う=茨城』といった記事がありました。これに関しては、【資料⑯】にも似たような記載があります。
次に、【資料㉑】「読売新聞」(2000年8月12日 東京朝刊 茨城東 27項)に『戦争の記憶風化させない 特攻基地建設あった北茨城の平潟漁港=茨城』といった記事がありました。
最後に、【資料㉒】「読売新聞」(2001年8月24日 東京朝刊 茨城2 35項)に『潜水艇「海竜」出没? 終戦の年、北茨城の漁港 地元研究家・丹さん調査=茨城』といった記事がありました。
その中に、「「震洋部隊」とともに「第十二海龍部隊」が小名浜に編成され、「海竜」十二隻が配備・展開していたことが記されていた。」とのことでした。

また、「海龍」「宮崎部隊」と検索したところ【資料⑯】「3 福島の第12海竜隊宮崎部隊」( http://heiwatutiura.web.fc2.com/tokkoukiti2.pdf )〔最終アクセス2016/11/8〕に記載がありました。

「平潟」は茨城県北茨城市に存在する港であり、そこで活動する歴史資料家の方が「嵐部隊」について調べていることが、【資料⑯】【資料⑰】【資料⑳】【資料㉑】より判明しました。
また、実際にお話を伺うことが出来ました。

その方のお話によると、『一三八部隊は回天を配備はしていなかった』『小名浜で戦後海龍の自爆があった』『理由としては、「海龍」乗務員の東京にいた家族がB29の爆撃により死んでしまい帰る場所が無くなってしまったからと同僚の証言があった』『【資料⑤】の十九隻は予定配備数であり、終戦直後には6隻までしか確認が取れていない』との貴重なお話を聞くことが出来ました。その他にも、特攻兵器や特攻隊員についても聞くことが出来ました。
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
日本史  (210 9版)
戦争.戦略.戦術  (391 9版)
各種の船舶.艦艇  (556 9版)
参考資料
(Reference materials)
【資料①】『海軍の神風特別攻撃隊 いわき市小名浜にあったことを知る人も少ない』 (P6に、一三八震洋隊の人員についての記述あり。
P9に、配備兵器の記述あり。
P22~23に、戦後の特殊潜航艇の自爆についての記述あり。)
【資料②】『大本営海軍部・聯合艦隊 6』 (P321~に、特攻兵器についての記述あり。)
【資料③】『図説帝国海軍特殊潜航艇全史』 (特攻兵器、「回天」「海龍」の写真や解説が掲載されている。)
【資料④】「いわき民報」(昭和49年8月13日 2面) (『終戦秘話『嵐部隊物語』』全15回のコラム)
【資料⑤】「いわき民報」(昭和27年2月15日 第2面) (「十九隻の“特潜”何處へ」と題して、特攻兵器の引き上げについて紹介。なお同記事はwebでも公開している。
http://library.city.iwaki.fukushima.jp/viewer/archive.html?idSubTop=2&id=687
〔最終アクセス2016/11/8〕)
【資料⑥】「いわき民報」(昭和53年10月5日 第11面) (『出撃中止で生き残った特攻隊』)
【資料⑦】「いわき民報」(昭和54年2月2日第2面) (「三回あった特攻出撃命令 嵐部隊の再開から分かる」)
【資料⑧】「いわき民報」(昭和54年8月8日第14面) (「嵐特攻隊員が戦友会 5日懐かしの小名浜で」)
【資料⑨】『学び・調べ・考えよう フィールドワーク 茨城県の戦争遺跡』
【資料⑩】web「アジア歴史資料センター」( http://www.jacar.go.jp/ )〔最終アクセス2016/11/8〕 (「小名浜」「震洋」と検索すると、『17嵐部隊』という文書がヒットした。)
【資料⑪】『震洋』( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%87%E6%B4%8B
〔最終アクセス2016/11/8〕
【資料⑫】『海龍(潜水艇)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E9%BE%8D_(%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E8%89%87)
〔最終アクセス2016/11/8〕
【資料⑬】『震洋特別攻撃隊』( http://www.geocities.jp/bane2161/sinyou.html
〔最終アクセス2016/11/8〕
【資料⑭】『<茨城の戦争遺跡>~海軍特攻艇『震洋』平潟基地~』
http://blogs.yahoo.co.jp/maxspeed1000km/57394105.html )〔最終アクセス2016/11/8〕
【資料⑮】『海軍特攻艇「震洋」平潟訓練基地』
http://blogs.yahoo.co.jp/totsukendd74taipu/15992203.html )〔最終アクセス2016/11/8〕
【資料⑯】『3 福島の第12海竜隊宮崎部隊』
http://heiwatutiura.web.fc2.com/tokkoukiti2.pdf )〔最終アクセス2016/11/8〕
【資料⑰】「朝日新聞」(2015年8月14日 朝刊21ページ 茨城) (『雑草の奥に特攻遺構』)
【資料⑱】「朝日新聞」(2006年8月17日 朝刊29ページ 茨城首都圏) (『特攻基地北茨城に』)
【資料⑲】「朝日新聞」(2011年8月16日 朝刊27ページ 福井全県) (『今も刻む 申し訳なさ』)
【資料⑳】「読売新聞」(2000年7月18日 東京朝刊 茨城東29項) (『日立沖で米艦隊への特攻作戦 「出撃しても無駄」 上官に直訴し隊員救う=茨城』)
【資料㉑】「読売新聞」(2000年8月12日 東京朝刊 茨城東 27項) (『戦争の記憶風化させない 特攻基地建設あった北茨城の平潟漁港=茨城』)
【資料㉒】「読売新聞」(2001年8月24日 東京朝刊 茨城2 35項) (『潜水艇「海竜」出没? 終戦の年、北茨城の漁港 地元研究家・丹さん調査=茨城』)
キーワード
(Keywords)
嵐部隊
一三八部隊
震洋
海龍
小名浜
平潟
特攻
特攻隊
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000199382解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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