レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007/08/10
- 登録日時
- 2008/01/31 02:11
- 更新日時
- 2008/02/15 16:35
- 管理番号
- 埼熊-2007-065
- 質問
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解決
菖蒲城主佐々木(金田)氏は、地元大塚家に伝わる系図によると六角佐々木家の流れをくむといわれるが正確なことがわかっていない。六角佐々木家の子孫が関東に流れている事実だけでも知りたい。特に鎌倉府擁立に関係し、古河公方の家臣として活躍したことを裏付ける資料があれば教えてほしい。
- 回答
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1 六角佐々木家の子孫が関東に流れている事実について記述がある資料
①『寛政重修諸家譜 7 新)』p55〈佐々木氏 秀義〉以降に鎌倉との密接な関係をうかがわせる記述あり。
②『国史大辞典 6』p347〈佐々木秀義(1112-1184)〉の項に、「義朝が敗れてのち、…相模の渋谷荘司重国にとどめられて、渋谷荘に二十年を送った」(出典『尊卑分脈 3』p318)とあり、関東とは長い関わりがあることがわかる。
④『滋賀県史 2』(清文堂出版)p335に「鎌倉幕府の舞台へ登場したのは、佐々木秀義に始まっている。」との記述あり。
⑤『中世東国の地域権力と社会』(岩田書院)所収「近江佐々木氏と東国」に、六角氏〈佐々木泰綱〉〈頼綱〉ほかの東国との関わりを示す記述があり。
2 鎌倉府擁立に関係し、古河公方の家臣として活躍したことを裏付ける資料
①『白岡町史 通史編』(1989)
p210に「佐々木氏という名は鎌倉府の重要な奉行人として散見する。」とある。
p212-217に「文書・記録に見る菖蒲佐々木氏の活躍」の表があり、古河公方家臣団の中に菖蒲佐々木氏の名が見られ、史料に複数の文書あり。
②『鷲宮町史 通史 上』
p456- 「佐々木氏の近江守は、鎌倉府奉行衆の佐々木氏摘流で受け継がれていた者・・・これらの佐々木氏一族は菖蒲の佐々木(金田)氏とは明らかに別系であり、その子孫が足利成氏に従って古河に移りその側近の重臣として活躍した」と記述あり。
③『古河公方関東戦国史』(菅谷武一)p53の「騎西城の合戦」のなかで、「成氏は家臣一同を率いて少府城に入り、休養を取ってから古河に帰城することになった。少府城は、成氏の臣、金田式部則綱の築城したものであり、今は埼玉県菖蒲町新堀に城跡が残っている」と記述あり。
次の資料にも佐々木氏について人物比定の参考となる記述あり。
『足利成氏文書集 古河公方初代』『足利政氏文書集 古河公方二代』『足利高基・晴氏文書集 古河公方三代・四代』(後北条氏研究会)『古河公方足利氏の研究』(校倉書房)
以上を紹介する。
- 回答プロセス
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『菖蒲町の文化財と歴史 通史篇』の記述を確認してから、自館目録を〈佐々木氏〉〈古河公方〉等で検索し、郷土資料、系図、歴史関係資料を探索した。
- 事前調査事項
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「菖蒲町の文化財と歴史 通史篇」(菖蒲町教育委員会 2006)p75-78の「菖蒲城と佐々木氏」
- NDC
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- 系譜.家史.皇室 (288 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
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- 『寛政重修諸家譜 7 新訂』
- 『尊卑分脈 3』
- 『滋賀県史 2 上代・中世』(清文堂出版)
- 『中世東国の地域権力と社会』(岩田書院)
- 『鷲宮町史 通史 上』
- 『古河公方関東戦国史』(菅谷武一 1981)
- 『足利成氏文書集 古河公方初代』
- 『足利政氏文書集 古河公方二代』
- 『足利高基・晴氏文書集 古河公方三代・四代』(後北条氏研究会)
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『古河公方足利氏の研究』(校倉書房)
- キーワード
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- 佐々木(氏)
- 金田(氏)
- 系図
- 菖蒲城
- 菖蒲町-埼玉県-歴史
- 鎌倉府-古河公方-室町時代-戦国時代
- 郷土資料
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000041435