レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009/02/20
- 登録日時
- 2009/05/09 02:11
- 更新日時
- 2009/05/12 15:30
- 管理番号
- 埼熊-2008-138
- 質問
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解決
料理人の着る白衣が普及したのはいつごろか。
- 回答
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『服装大百科事典 増補版 下』に該当の記述あり。「明治末期に出現した白衣は、関東大震災後の復興とともに、板前を職業とする人も半纏姿から徐々に白衣に着替えていった。その敗戦後米軍の占領軍司令官マッカーサーにより、保健衛生法・環境衛生法が制定され、関係業種に従事するものは、すべて清潔な白衣を着用せねばならないという法律による義務づけがなされたた結果、食品関係・理・美容関係の白衣が特に急速に普及した」とあり。
『ざ・ゆにふぉーむ ファッション・デザインの原点』に「板前の前掛は明治以後、衛生的な面から考えられ白色となった。前開きの板前の白いサロン・エプロンを用いるようになったのは大正になってからであり、前開きの板前のユニフォームを用いるようになったのもその時代から」という記述あり。
上記2点の記述を紹介する。
- 回答プロセス
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『服装大百科事典 増補版 下』の〈白衣〉に「食品関係の白衣は、明治維新後、急速に西洋文明がとり入れられ、外人も多数渡来し、洋食の普及にともない、コック服などの白衣も着用されるようになった。明治末期に出現した白衣は、大正12年の関東大震災で東京の大半が壊滅し、その復興の槌音とともに、その第一転換期を迎えた。板前を職業とする人も半纏姿から徐々に白衣に着替えていった。第二転換期は、敗戦による米軍の日本占領に始まる。当時の占領軍司令官マッカーサーにより、保健衛生法・環境衛生法が制定され、関係業種に従事するものは、すべて清潔な白衣を着用せねばならないという法律による義務づけがなされた結果、食品関係・理・美容関係の白衣が特に急速に普及した。」とあり。
『ざ・ゆにふぉーむ ファッション・デザインの原点』の〈料理人〉に、「1085年のセント・マーティン協会にある絵画に料理人が描かれているが、それによると、白のキャップとジャケットを用いていることがわかる」などの記述があり。〈板前〉に、「板前の前掛は明治以後、衛生的な面から考えられ白色となった。前開きの板前の白いサロン・エプロンを用いるようになったのは大正になってからであり、前開きの板前のユニフォームを用いるようになったのもその時代からである」とあり。
『読売新聞記事索引 CD-ROM』の索引(明治~昭和45年)では昭和25年12月17日に「東京白衣店」の広告が出て以来、年々白衣の広告が増加していることがわかる。
《Google》を〈料理人 & 白衣〉で検索したところ、「料理人に白衣を着せたのは星岡茶寮」という情報あり。出典は《辻調グループ校》サイト内「魯山人料理の極意」のページ。
(http://www.tsuji.ac.jp/hp/jpn/kanazawa/6.htm 2009/02/20最終確認)
『北大路魯山人 上』の星岡茶寮に関した記述に、「料理人にはすべて白の上着に白のズボン、さらに白足袋を穿かせた(中略)これらは、当時としては目を見はらせるほどの斬新さであった。」とあり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 衣食住の習俗 (383 9版)
- 食品.料理 (596 9版)
- 参考資料
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- 『服装大百科事典 増補版 下』(服装文化協会 文化出版局 1969)
- 『ざ・ゆにふぉーむ ファッション・デザインの原点』(日本ユニホームセンター 1991)
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『北大路魯山人 上』(白崎秀雄 文芸春秋 1975)
- キーワード
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- 服装-歴史-日本
- 仕事着
- 板前-調理師
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000054573