レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018/7/5
- 登録日時
- 2018/11/29 00:30
- 更新日時
- 2024/03/29 00:33
- 提供館
- 金沢市図書館 (2310230)
- 管理番号
- 玉川-000668
- 質問
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解決
【輪島の「ダイカン」について】 輪島に港があり、年貢米などを管理するため、江戸時代に加賀藩が派遣していた「ダイカン」の武士(役人?)の階級が知りたい。
- 回答
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蔵入地(直轄地)については、御蔵に収納されることになっている。
『加賀藩農政史の研究 上』(118546369)p.244~245に代官についての記載がある。
代官とは収納代官のことを指す。加賀藩では、当初は侍代官であったが、承応2年(1652)以降十村代官が任命されるようになり、万治元年(1658)に侍代官を廃したとあり、能登の小代官などの例外を除き、代官は十村の役職となった旨が書かれている。
輪島小代官が質問者のいう代官に当たるものと思われる。
職制の機構図は、『加越能近世史研究必携』(118341577)p.32では、輪島小代官は算用場奉行の配下、『藩史大事典 第3巻 中部編』(11105976)p.176では、能州小代官は所口町奉行の下役となっている。「国格類聚」(『金沢市史 資料編4 近世2』所収)p.80においても、輪島の小代官は3人で、在住と記されている。
『輪島市史 通史編・民俗文化財編』(119563391)p.208~210に、輪島の小代官についての記述がある。要点は以下の通り。
・輪島には3人いて、高桑・斎藤・山瀬の3家が世襲のような形で務めている。同書に歴代の小代官の一覧表あり。
・俸禄は切米40俵、高桑家のみ文政6(1823)年に10俵加増を受けている。
・任務は「奥郡御塩方御用・御詰米御用」、斎藤家のみ「御銀御用」。
高桑彦一・斎藤雄吉・山瀬鉄弥の3名とも、『加越能文庫解説目録 上巻』を見ると、「先祖由緒并一類附帳」が存在している(目録ではいずれも40俵と記載されている)。
給人知行地(知行地)については町蔵に収納され、蔵宿が収納した米の管理を行っている。
前掲『輪島市史』、『図説 輪島の歴史』(119798398)によると、輪島では天明記頃に久保屋、文化~幕末まで中島屋、天保期~幕末まで樽見屋が務めていたと記されている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000246524