レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年10月24日
- 登録日時
- 2015/11/26 12:06
- 更新日時
- 2015/11/29 11:27
- 管理番号
- 相市H27-009
- 質問
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解決
インターネットで、西暦30年~115年頃の間に、相模原のヤイズでヤマトタケルの伝説が残っていると出てきた。相模原市ではこのヤマトタケルの足跡をどのように教育資料として扱っているのか知りたい。(伝説としてなのか、埋蔵資料の発掘と照合した研究としてか)
- 回答
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回答プロセスのとおり資料を紹介した。
- 回答プロセス
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インターネット検索エンジンGoogleにて「相模原 ヤマトタケル ヤイズ」をキーワードに検索したところ、以下のサイトがヒットした。
「ヤキツ(焼津)は相模原だったのか?日本武尊(ヤマトタケル)の相模原伝説」http://www.sagami.in/reki/takeru(最終確認2015/11/26)
→「古事記に記載がある」とあるので、実際に確認する。
『古事記』 岩波書店 1984 【BF S22156624】
→P.122に「相武國に到りましし時・・・」、P.123に「相模の小野に・・・」とある。
レファレンス協同データベースに当館が同様のレファレンスを掲載していたので、その際に参考にした資料をあたった。
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000098448
・『相模原の歴史』 座間美都治 1974 【K1-21 S16967465】 →P.5-7
・『相模原史話 史跡と伝説』 阿部博泰/著 相模大野団地自治会 1971 【K1-21 S04241543】 →P.13-16
・『神奈川県風土記2 歴史と人物』 かなと出版 1979 【K0-29 S24121220】 →P.108
・『神奈川県の民話と伝説』下巻 萩坂昇/著 有峰書店新社 1993 【K0-38 S10695112】 →P.236-239
・『わたしたちのふじの』 藤野町文化財保護委員会/編 藤野町教育委員会 1992 【K1-29藤野 S23772643】 →P.1-2
・『相模原市史 第1巻』 相模原市/編 相模原市 1988 【K1-21 S23586589】 →P.262-265
→「だいたい記紀などの日本古代の文献が成立したのは(略)その時点に都合のよいように書き改められている。日本武尊の記紀記載の内容もその例にもれず、後の時代の修飾が多いと見られ、そのままが史的事実とすることはできないというのが常識となっている。」と記載されている。
※【】内は自館の請求記号と資料コードです。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『古事記』 岩波書店 1984
- 『相模原の歴史』 座間美都治 1974
- 『相模原史話 史跡と伝説』 阿部博泰/著 相模大野団地自治会 1971
- 『神奈川県風土記2 歴史と人物』 かなと出版 1979
- 『神奈川県の民話と伝説』下巻 萩坂昇/著 有峰書店新社 1993
- 『わたしたちのふじの』 藤野町文化財保護委員会/編 藤野町教育委員会 1992
- 『相模原市史 第1巻』 相模原市/編 相模原市 1988
- キーワード
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- 相模原
- ヤキツ
- ヤマトタケル
- 教育
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000184419