レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年10月11日
- 登録日時
- 2018/06/16 14:11
- 更新日時
- 2018/08/30 15:53
- 管理番号
- 堺-2018-005
- 質問
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解決
堺市中百舌鳥町4丁の土地が昔「木下古墳」であったという地図を見たことがある。そのことをもう一度確認したい。
- 回答
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『国庫補助事業発掘調査報告書 昭和62年度』および『堺市文化財調査概要報告 第57冊』、『国庫補助事業発掘調査報告書 平成17年度』を提供。(南図書館)
- 回答プロセス
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昭和38年と現在の住宅地図を確認すると、西高野街道沿いの同じ地番の所に同じ方がお住まいであることが確認できた。しかし、どちらも古墳は確認できず。明治20年二万分の一地形図「金田村」を見ると、くすの木で有名な筒井家の隣の御廟表塚古墳や少し南に位置する定ノ山古墳は確認できたが、西高野街道沿いには宅地が並び、古墳は確認できなかった。御廟表塚古墳の発掘調査資料には、周辺の古墳についての情報が載っているのでは?ということで、『国庫補助事業発掘調査報告書 昭和62年度』を見ると、p.2掲載の「大阪府文化財分布図」に「木下山古墳」があり、このことであろうと推定。同頁に木下山古墳は円墳で、すでに全壊・消滅しているとの記載あり。ほかに『堺市文化財調査概要報告 第57冊』や『国庫補助事業発掘調査報告書 平成17年度』に「木下山古墳」の調査概要が載っていたのでこちらも紹介した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 8版)
- 参考資料
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- 国庫補助事業発掘調査報告書 昭和62年度 堺市
- 堺市文化財調査概要報告 第57冊 堺市埋蔵文化財センター/編 堺市教育委員会
- 国庫補助事業発掘調査報告書 平成17年度 社会教育課文化財保護係/編集 堺市教育委員会生涯学習部
- キーワード
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- 木下古墳
- 木下山古墳
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000237256