レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年12月21日
- 登録日時
- 2017/10/28 17:27
- 更新日時
- 2018/11/28 13:29
- 管理番号
- 2017-21
- 質問
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解決
江戸末期の大洲藩と松山藩の藩境を示す地図及び資料はあるか。
- 回答
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【資料1】付図 松山藩領地図-化政期(伊予史談会蔵)と【資料2】がある。
【資料2】は巻末の図版解説に次のように記載がある。
藩領図・支配図
1 松山領地図
文化文政年間(1804~30)
伊予史談会文庫(地図・絵地図35)
絵図の端裏には「松山領之図」とある。松山藩の軍学者野澤才次郎(象水)の旧蔵品である。
松山藩領があった温泉郡・和気郡・久米郡・野間郡・桑村郡・風早郡・周布郡・越智郡・伊予郡・浮穴郡を中心に、松山藩の幕府預かり地があった宇摩郡までが描かれている。また、隣接する大洲藩、今治藩、小松藩の所領の村々もあわせて描かれているが、西条藩領があった新居郡は郡名のみの記載で、宇和島藩領があった宇和郡は描いていない。
絵図の余白には、伊予各藩の石高をはじめ、松山藩領の郡ごとの石高、松山から諸国の主要都市との距離、土佐への道などの情報がまとめられている。川筋、主要街道、主要航路もしっかり描き込まれており、軍学者が作成するにふさわしい実務的な内容をもった絵図といえる。
(参考)国土交通省四国地方整備局のホームページの、「重信川水系河川整備計画 第2章 重信川水系河川整備計画について―四国地方整備局―国土交通省」p17に、『松山藩領地図―化政期(伊予史談会蔵)』が掲載されている。
http://www.skr.mlit.go.jp/matsuyam/river/seibikeikaku/files/soan/2_genjyo_kadai.pdf
【資料3】p29~32に、「現地学習 大洲・松山藩境をゆく」(大森 悟)という論文があり、p30に「大洲・松山藩境界線略図」が掲載されている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210)
- 四国地方 (218)
- 地形学 (454)
- 参考資料
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- 【資料1】『松山市史 第2巻 近世』(松山市史編集委員会/編集 松山市役所 1993年)<当館請求記号:K231-49-2>
- 【資料2】『伊予史談会所蔵絵図集成 伊予史談会創立百周年記念』(伊予史談会 2013年)<当館請求記号:K200-イヨ-2013>
- 【資料3】『伊予市の歴史文化 第8号』(伊予市歴史文化の会編集部/編 伊予市歴史文化の会 1983年)<当館請求記号:K232-3-8>
- キーワード
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- 江戸末期
- 大洲藩
- 松山藩
- 藩境
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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(2018.11.28追記)
江戸末期に限らなければ雑誌「松前史談」11号(松前町松前史談会編集部/編 松前町松前史談会 1995年)<当館請求記号:K236-1-11>p41~45論文「藩境をゆく」p42に図あり。
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000224010