レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/5/25
- 登録日時
- 2019/10/06 15:09
- 更新日時
- 2020/03/26 09:53
- 管理番号
- 相-190010
- 質問
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解決
現代以前の仏師や仏画師が、禅や正観など、ヨーガ・瞑想修行をしていた場合、それはどのようなものであったのかを記した資料等を紹介して下さい。
そもそも仏教美術の根底に関る問題と想えるのですが、あまりこれを記したものを見た覚えがありません。その一方で、慶派の仏像などで、深い瞑想修行の経験があって初めて表現化が可能ではないかと想う造形も有るのです。
- 回答
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次の文献、情報を紹介しました。
・『国史大辞典2、3、12』 国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1980、1983、1991
2巻p.361の「絵仏師」の項に、「僧籍に入っている仏教絵画専門の絵師(中略)平安時代初期の清和天皇のころになると、(中略)全仏教が信者との間の信仰形式において密教化してきたわけであるが、(中略)加持祈禱を行うには、密教用の仏像絵画と仏像彫刻とが必要であったので、(中略)その製作が急激に増大してきた。(中略)絵仏師自身も単なる仏像画家である以上に密教についての教養を必要としたから、僧籍に入る必然性があったと考えられる」とあります。
3巻p.331の「画僧」の項に、「鎌倉時代から興隆しだした禅刹の禅僧の中で絵画を専門技術として禅宗的絵画を描いた者を画僧と呼んでいる」とあります。
12巻p.291の「仏師」の項に、「仏像彫刻の作家(中略)仏画の作家は絵仏師とよばれる。(中略)平安時代には(中略)仏師も次第に僧籍に入るようになった」とあります。
・『日本大百科全書 13』相賀徹夫編著 小学館 1987 p.755の「禅宗美術」の項に、「禅宗の思想信仰に基づいて生み出された仏教美術。座禅と冥想によって仏心を悟ることを目標とする禅宗は、六世紀初めにインドから中国に伝えられ、伝統的な道教と融合して発展した。(中略)禅宗は自己の内面に悟りを得ることを至上の目的とするから、(中略)仏像や仏画の制作はあまり行なわず、悟りの境地を直観的に把握すること要素があれば、画題にとらわれず、禅宗の美術として鑑賞、あるいは創作した」とあります。
・『日本の仏像と仏師たち』宇野茂樹著 雄山閣 1982
「第4章 平安前半期の造仏」のp.95~97「(四)「仏工」から「仏師」へ」の中で「当時の仏師は(中略)毎日法華経を誦して造仏に奉仕したともあるから、敬虔な態度で造像に接したことがわかり(中略)宗教的精神作用が重視されたことを物語っていると思う」とあります。
・『運慶』根立研介著 ミネルヴァ書房 2009
「第1章 運慶登場」のp.38~45「3 南都炎上と法華経書写」の中で「円城寺大日如来像を製作している頃、運慶は一方で現在「運慶願経」の名でよく知られている法華経の書写発願をなしたようである」「この「運慶願経」の巻第八には長大な奥書があり、(中略)一行書写するごとに三度礼拝し(中略)書写に伴う一連の宗教的行為が行われ、さらに硯に入れる水には三ヵ所の霊水を求めた」とあります。
・『運慶のまなざし』金子啓明著 岩波書店 2017
p.14~47「第一章 修行僧運慶と仏師運慶」に、「運慶願経」や「千日不断花」など運慶の行なった仏教行為や修行についての記述があります。
・『仏を彫る』久保田信行、久保田実喜代著 創元社 1981
p.41~71「仏教彫刻の基礎」の「一 仏教彫刻の作法」の中で、『不空羂索神変真言経』から「画匠画くときは一出一浴し、香をもって身に塗り、浄衣服を着け、三白食を食し(以下略)」や『牟梨曼荼羅呪経』から「その画匠は画きおはるに至るまで、五辛酒肉を食せず、淫欲等のことをおこなはず」といった記述を引用しています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 仏像 (718)
- 仏教 (18)
- 参考資料
- キーワード
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- 仏教美術
- 仏師
- 仏工
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000262383