外交史料館では、1951年(昭和26年)9月7日に吉田茂首相がサンフランシスコのオペラハウスで行った、サンフランシスコ平和条約の受諾演説原稿を所蔵しています。
吉田首相は当初、英語で演説を行うつもりでしたが、日本の「ディグニティ(尊厳)」のために日本語でするほうが良いだろうとの米国側からの提案に従い、当日になって、急遽日本語で演説することとしました。そのため、演説原稿の作成は、数人が手分けして、大慌てで巻紙に日本語演説を書き写し、それを議場で繋ぎ合わせるという時間ギリギリの作業となりました。当時の関係者は、巻紙の繋ぎ合わせの順序に間違いがあったらどうしようかと気になったとの感想を残しています。
ちなみに、吉田首相は、議場にいる者は誰も日本語がわからないと判断し、終わりのほうは一節とばして読みましたが、終了後に演説が日本にも放送されていたことを知って、「そんならもっとうまくやるんだったのに」と後悔したと言われています。
また、受諾演説原稿は全長が30メートル近くもあり、議場にいた外国人の記者はその形状をみて「トイレットペーパーのようだ」と評しました。
この演説原稿の作成については、『日本外交文書 平和条約の締結に関する調書』第4冊に関係文書が収録されています。