レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年11月22日
- 登録日時
- 2013/11/22 21:30
- 更新日時
- 2013/12/19 20:40
- 管理番号
- 20131122-4
- 質問
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解決
岩本栄之助について知りたい。
- 回答
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岩本栄之助 【いわもと・えいのすけ】 コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E5%B2%A9%E6%9C%AC%E6%A0%84%E4%B9%8B%E5%8A%A9 (2013/11/21確認)
朝日日本歴史人物事典
生年: 明治10(1877)
没年: 大正5.10.27(1916)
明治大正期の株式仲買人。大阪株式取引所創業以来の仲買人であった岩本栄蔵の次男。明治39(1906)年父栄蔵のあとを継いで大阪株式取引所仲買人となり,45年仲買人組合の委員長に選ばれた。栄之助が義侠心に富んだ正義派の株式仲買人として名を高め,財をなし,また財も生命も失ったのは,弱気筋売方の懇請を容れた3度にわたる果断な売出動であった。最初の40年1月の株式相場高騰と大暴落により200万円の利益を得たが,3度目の大正5(1916)年第1次世界大戦時には,どこまでも騰勢衰えず,ついに行き詰まり,10月22日拳銃で自殺をはかり,5日後に絶命した。明治42年秋,渋沢栄一を団長とする渡米実業団に加わり,大阪財界代表のひとりとして渡米し,特に米国における公共事業出捐の実情に注目した。これを直接の契機として,大阪市に100万円を寄付し,中央公会堂建設が実現した。しかしその落成は栄之助の自殺から2年後の大正7年であった。
<参考文献>宮本又次『郷土史にかがやく人びと』2巻
デジタル版 日本人名大辞典+Plus
岩本栄之助 いわもと-えいのすけ
1877-1916 明治-大正時代の株式仲買人。
明治10年4月2日生まれ。39年大阪株式取引所仲買人となる。40年200万円の利益をえたが,第一次大戦がはじまってからは相場に失敗。大正5年10月22日ピストル自殺をはかり,27日死去。40歳。生前100万円を大阪市に寄付,7年中之島公会堂がたてられた。大阪出身。
公会堂の歴史 大阪市中央公会堂
http://osaka-chuokokaido.jp/history/ (2013/11/22確認)
【大阪の20世紀】
(12)中央公会堂 「北浜の恩人」岩本栄之助80億円寄付で建設 2011.10.1
http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/111001/wec11100110010001-n1.htm (2013/11/22確認)
公会堂の恩人岩本栄之助 大阪市民生局編 大阪市民生局, 1954
岩本栄之助氏 斯の人を -続- 伊藤銀三
経済人 14(5), p.519-521, 1960-05
まちづくり人国記 大阪のシンボル公会堂をつくった「義侠の相場師」岩本栄之助
地域開発ニュース (295), 22-24, 2007
http://ci.nii.ac.jp/naid/40015671514 (2013/11/22確認)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 大阪市中央公会堂
- 岩本栄之助 いわもと えいのすけ
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000141138