レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年12月01日
- 登録日時
- 2021/03/08 15:14
- 更新日時
- 2021/03/08 17:03
- 管理番号
- 千県東-2020-0019
- 質問
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解決
水戸黄門の「黄門」とは何か。
- 回答
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【資料1】『講談社日本人名大辞典』(上田正昭[ほか]監修 講談社 2001)p1295
「徳川光圀」の項に“中納言の唐名「黄門」により水戸黄門の名で知られる”
【資料2】『日本架空伝承人名辞典』(大隅和雄編集委員 平凡社 2012)p533
「水戸黄門」の項に“後世水戸黄門といえば光圀を指すのは、中納言の唐名黄門の代表的存在とされたからである”
【資料3】『国史大辞典 5 け-こほ』(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1985)p530
「黄門」の項。“唐の門下省の次官黄門侍郎で、中納言に相当する。黄門とは黄色に塗った応急の小門をいい、その黄門の中に給仕する官を黄門侍郎と称した”。
【資料4】『徳川光圀 「黄門さま」で名高い水戸藩主』(鈴木暎一著 山川出版社 2010)p68
“権中納言に任ぜられた光圀は、以後、黄門あるいは水戸黄門と称されるようになる。黄門とは唐の時代、門下省次官、黄門侍郎のことで、わが国の官職にこれをあてはめると中納言に相当する”。
- 回答プロセス
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人名辞典を確認する。
【資料1】『講談社日本人名大辞典』(上田正昭[ほか]監修 講談社 2001)p1295
「徳川光圀」の項に記載があった。
【資料2】『日本架空伝承人名辞典』(大隅和雄編集委員 平凡社 2012)p533
「水戸黄門」の項に記載があった。
役職を示すことが分かったので、日本史関係の事典を確認する。
【資料3】『国史大辞典 5 け-こほ』(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1985)p530
「黄門」の項に記載があった。
また水戸光圀関連の一般書をブラウジングした。
【資料4】『徳川光圀 「黄門さま」で名高い水戸藩主』(鈴木暎一著 山川出版社 2010)p68に記載があった。
「レファレンス協同データベース」を「水戸黄門」で検索すると、「水戸黄門は7人いたのか。」(茨城県立歴史館)という事例がヒットし、“「中納言」の唐名を「黄門」といい”とある。
<調査済み資料>
『新潮日本人名辞典』(新潮社辞典編集部編集 新潮社 1991)
『日本近世人名辞典』(竹内誠編 吉川弘文館 2005)
『日本歴史大事典』(小学館 2000-2001)
『日本史大事典』(平凡社 1992-1994)
『新編日本史辞典』(京大日本史辞典編纂会編 東京創元社 1990)
『日本史事典』(藤野保編集代表 朝倉書店 2001)
(インターネット最終アクセス:2020年12月1日)
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 法制史 (322 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『講談社日本人名大辞典』(上田正昭[ほか]監修 講談社 2001)(2101418189)
- 【資料2】『日本架空伝承人名辞典』(大隅和雄編集委員 平凡社 2012)(2102499280)
- 【資料3】『国史大辞典 5 け-こほ』(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1985)(2100522549)
- 【資料4】『徳川光圀 「黄門さま」で名高い水戸藩主』(鈴木暎一著 山川出版社 2010)(2102382133)
- キーワード
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- 水戸黄門(ミトコウモン)
- 水戸 光圀(ミト ミツクニ)
- 徳川 光圀(トクガワ ミツクニ)
- 黄門(コウモン)
- 官職(カンショク)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000294837