レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008/05/01
- 登録日時
- 2009/08/26 02:11
- 更新日時
- 2009/08/26 14:31
- 管理番号
- 千県中千葉-2009-0007
- 質問
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未解決
池内才次郎は明治43年東京にあるハンセン病療養所全生病院の初代院長になり、大正3年光田健輔に代わるまで院長職に専念しましたが、院長になる前、千葉県市原郡の郡長でした。そして、東京府組織一覧によると、大正10年、八丈島の島司とあります。昭和12年ごろ、亡くなったらしく、全生病院の機関誌「山桜」の目次に訃報が載っています。
「市原郡誌」という郷土史があることを知りましたが、さらに詳細を知りたい。
- 回答
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ご指摘のあった『市原郡誌』(千秋社 1989 千葉県市原郡役所 大正5年刊の復刻版)
には、池内才次郎に関する記述は見られませんでしたが、『千葉縣史料 近代篇郡制下』(千葉県 1989) に明治38年~45年の市原郡会議事録が掲載されており、明治42年2月15日と明治43年2月16日には、市原郡長池内才次郎とあり、この時期に郡長であったことはわかりました。
< >内は請求記号
- 回答プロセス
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『房総人名辞書』(千葉毎日新聞社 1909年)『稿本市原市歴史年表』(市原市教育委員会 1975刊)『房総紳士録 明治42年,45年』(多田屋 1908、1912)などには該当なし。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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『千葉縣史料 近代篇郡制下』(千葉県 1989)
(9200263676)
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『千葉縣史料 近代篇郡制下』(千葉県 1989)
- キーワード
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- 市原郡長
- ハンセン病療養所全生病院長
- 千葉県-市原郡
- 池内才次郎
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000057432