レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年11月17日
- 登録日時
- 2012/03/12 16:37
- 更新日時
- 2012/05/31 17:37
- 管理番号
- 埼浦-2011-112
- 質問
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未解決
鴻巣市に河野姓は多く、その先祖とされる人物として河野和泉守と河野権兵衛がおり、どちらの家系も差異はあるものの伊予河野家と同じ家紋を伝えている。河野和泉守と河野権兵衛との関係がわかる資料や伊予河野氏との関係がわかる資料を探している。
- 回答
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河野和泉守と河野権兵衛との関係や伊予河野氏との関係がわかる資料は見つからなかった。
- 回答プロセス
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調査済み資料
『新編武蔵風土記稿 [第4期]8 大日本地誌体系 14』(蘆田伊人編集校訂 雄山閣 1996)
p25-26「上常光村・下常光村 旧家者」
「七兵衛 河野氏なり、(略)先祖は五郎左衛門といひ、慶長の頃よりこゝに土着せしと、古は岩槻太田氏の旗下にて、鴻巣七騎の内河野和泉守が裔なりと、(以下略)」とあり。
p42「糠田村 褒善者河野権兵衛」
「代々当村の百姓なり、(以下略)」とあり。
河野和泉守との関係については記述なし。また伊予河野氏との関係についても記述なし。
『埼玉県人物誌』(加藤三吾著 歴史図書社 1976)
p122「河野権兵衛」
「天明年間の素封家河野氏の主人にして北足立郡田間宮村糠田に住し。」とあり。
河野和泉守との関係については記述なし。また、伊予河野氏との関係についても記述なし。
『鴻巣史話』(鴻巣市郷土研究会編 鴻巣市 1969)
p109-110「河野権兵衛」
「河野氏は市内糠田の素封家で徳川時代糠田村の里正をつとめた家柄である。」とあり。
河野和泉守との関係については記述なし。また、伊予河野氏との関係についても記述なし。
『糠田と河野権兵衛』(河野兵衛 1984)
p19-24「江戸時代」
p19「天下分け目の戦と呼ばれる一六〇〇年の関ヶ原の役は、徳川方の大勝に終り、西軍に属した将士は、それぞれ安住の地を求めて諸所に散っていたのである。この戦後落ちのびて、ここ糠田に住みついたといわれる、伊豫の国の住人河野権兵衛以下の一行が、たれの配下に属して戦ったのかは不詳であるが(以下略)」とあり。
p66-91「第四章 河野権兵衛家」
江戸初期から明治時代以降までの、河野権兵衛家の歴史について記述があるが、河野和泉守との関係についての記述はなし。また、河野権兵衛については「伊予の住人」との記述のみで、伊予河野氏との関係はわからなかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 系譜.家史.皇室 (288 9版)
- 関東地方 (213 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 河野和泉守(コウノ イズミノカミ)
- 河野権兵衛(コウノ ゴンベエ)
- 鴻巣市-歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000103493