レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007/07/24
- 登録日時
- 2007/12/01 02:11
- 更新日時
- 2007/12/28 11:24
- 管理番号
- 埼熊-2007-040
- 質問
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解決
熊谷市今井にある「弘誓寺(ぐぜいじ)」の江戸時代の所在地を知りたい。また、現在よりも広かったようだが、どこにどれ程の土地を有していたのかがわかるような資料(地図)が見たい。
- 回答
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『熊谷市内寺院八十九撰』(室田好男 2002)p102〈弘誓寺〉の項に、「江戸時代は寺領に御朱印10石を賜り、269坪の境内・・・明治以降は寺禄を失い20坪の本堂に、3坪の庫裡」とある。江戸時代の所在地を明記した資料は見つからなかったが、下記資料②③で「寺域は北埼玉郡今井村字下本郷」とわかる。ただし地図資料による確認はできなかった。
詳細は、以下の資料を紹介する。
①『新編武蔵風土記稿 11』p63〈今井村〉の項に「弘誓寺 慶安2年阿弥陀堂領7石、境内天神社領3石」との記述がある。
②明治初期編纂の村誌『武蔵国郡村誌 13』(埼玉県立図書館)p268に「弘誓寺 寺域東西百117間5尺南北15間面積269坪・・・字下本郷にあり」と記述がある。
③埼玉県立文書館所蔵資料「北埼玉郡寺院明細帳 (2)」(明治12.6現在資料)に、「北埼玉郡今井村下本郷・・・境内296坪(官有地第4種)」ほか、境外の田(今井村字天神)畑(今井村字下本郷)等の所有地に関する詳しい記述あり。
④『埼玉県寺院聖教文書遺品調査報告書 2(解説・史料編)』p82に「田畑御縄除地請合証文(弘誓寺朱印地)」が収録されている。
- 回答プロセス
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熊谷市の寺院関連資料にあたる。
『熊谷市内寺院八十九撰』の参考文献『熊谷市郷土文化会誌 42号(中条特集号)』p92には「大字今井字下本郷902番地」とあるが、『埼玉宗教名鑑』(埼玉新聞社 1978)p797には「熊谷市大字今井901 境内888㎡」とある。
『熊谷市史 後篇』p368に「常光院」の末寺として〈弘誓寺〉の名があり、『新編武蔵風土記稿 11』p63〈今井村〉の項に「弘誓寺 慶安2年阿弥陀堂領7石、境内天神社領3石」との記述がある。
明治8年太政官布達により編纂された『武蔵国郡村誌 13』p268〈今井村 佛寺〉の項には「弘誓寺 寺域269坪・・・字下本郷にあり」との記述が見つかった。
次に地図資料を探索する。
『迅速測図二万分一地形図』〈熊谷駅〉、『地図で見る百年前の日本』p66、『迅速測図二万分一地形図』〈熊谷駅、〉『地図で見る百年前の日本』p66等で今井村を確認するが、詳細な地図は見あたらず、位置はわからなかった。
『埼玉県行政文書件名目録 社寺編』(埼玉県立文書)p143に寺院明細張の文書番号および「北埼玉郡今井村下本郷 天・弘誓寺」の記述があり、県立文書館に調査を依頼する。回答は以下のとおり。
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「埼玉県寺院名鑑」(埼玉県佛教会 1976)には「今井901」とあり。
「北埼玉郡寺院明細帳 (2)」(明治元年-昭和23)では「北埼玉郡今井村下本郷・・・境内296坪(中略)」とあり、比較的詳しい記述がある。県立文書館でも詳しい地図が見つからず、資料によって所在地の番地や坪数が異なるが、確認はできない。
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なお『埼玉県寺院聖教(ショウギョウ)文書遺品調査報告書 1(目録編)』p42に、弘誓寺が受取人となっている常光院所蔵の文書(江戸前期の朱印状)の紹介がある。「田畑御縄除地請合証文(弘誓寺朱印地)」は、『埼玉県寺院聖教文書遺品調査報告書 2(解説・史料編)』p82に収録されている。
- 事前調査事項
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「熊谷市内寺院八十九撰 ぶらっとくまがや寺のまち」に「弘誓寺は熊谷市今井908番地」とある。
- NDC
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- 各宗 (188 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 『熊谷市内寺院八十九撰』(室田好男)
- 『新編武蔵風土記稿 11』
- 『武蔵国郡村誌 13』
- 『埼玉県寺院聖教文書遺品調査報告書 2(解説・史料編)』
- 「北埼玉郡寺院明細帳 (2)」(埼玉県立文書館所蔵)
- キーワード
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- 寺院
- 弘誓寺(グゼイジ)-熊谷市-埼玉県
- 江戸時代-史料
- 郷土資料
- 照会先
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- 埼玉県立文書館
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000039879