レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2004/07/20
- 登録日時
- 2005/02/17 02:17
- 更新日時
- 2009/06/25 09:26
- 管理番号
- 埼浦-2004-028
- 質問
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解決
見沼たんぼがいつ頃から、どんな理由で無くなっていったのかを知りたい。昭和34~35年頃の水害が原因と聞いた事がある。
- 回答
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『見沼田んぼを歩く』の「はじめに」やp42の記述によると、見沼たんぼの中央を流れる芝川が氾濫を繰り返していたが、昭和33年の狩野川台風(22号)で見沼たんぼの遊水機能が認められ、これをきっかけに「見沼田んぼ農地転用方針」(通称「見沼三原則」)が定められたとあり。
詳しい資料として、『環境保護の市民政治学 見沼田んぼからの緑のメッセージ』(巻末に見沼田んぼの歴史、年表あり)、『浦和市史 通史編4』p521-、『環境保護の市民政治学 2 見沼田んぼからの伝言』の3冊を紹介する。
他に『川口史林 27・28』p75-、『見沼田んぼ保全市民研究会報告書 第1回』にも記載あり。
- 回答プロセス
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以下の資料には記述なし。
『見沼田圃論集』『見沼田圃論集 2』『埼玉史談 67』『川口史林 19・20』
- 事前調査事項
- NDC
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- 環境工学.公害 (519 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
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- 『見沼田んぼを歩く 首都圏最後の大自然空間』(小林義雄 農山漁村文化協会 1993)
- 『環境保護の市民政治学 見沼田んぼからの緑のメッセージ』(村上明夫 第一書林 1990)
- 『浦和市史 通史編4』(浦和市 2001)
- 『環境保護の市民政治学 2 見沼田んぼからの伝言』(村上明夫 幹書房 2003)
- 『川口史林 27・28』(川口市郷土史会)
- 『見沼田んぼ保全市民研究集会報告書 第1回』(見沼田圃保全市民連絡会 1989)
- キーワード
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- 見沼たんぼ-さいたま市-埼玉県
- 田圃
- 郷土資料
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000020276