レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2006年10月20日
- 登録日時
- 2006/11/28 18:04
- 更新日時
- 2006/11/28 18:04
- 提供館
- 岐阜県図書館 (2110001)
- 管理番号
- 岐県図-0777
- 質問
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解決
明治初めに尾張藩から岩村藩主・松平乗命に嫁いだ釣姫について資料はないか。また、輿入れの道筋だった下街道(名古屋-高山陣屋[土岐市]-岩村)の行程が何里ぐらいになるのか知りたい。
- 回答
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1 釣姫について
事前調査済みの『土岐市史』『土岐津町誌 上』以外の資料では、樹神弘編『岩村町歴史シリーズ』(岩村町教育委員会)第2号に「薄幸の女性 清月院鈞姫」として特集が組まれており、これを紹介。
だが質問者によると、この資料の内容に疑問があり、改めて調査をしているとのことだった。
※資料によって「釣姫」「鈞姫」の2通りの表記がある。
上記以外にはまとまった記述のある資料を見つけられず。
2 下街道の行程について
・桜井芳昭『尾張の街道と村』(第一法規出版,1997)に引用されている資料によると以下の通り。
「東海木曽細記」(明和2[1765]年)による宿間里程(下街道)
「名古屋-(2里)-勝川-(2里半)-坂下-(1里半)-内津-(1里8丁)-池田-(2里)-高山(天領)-(1里)-土岐(岩村領)-(1里)-釜戸(大島家知行)-(3里)-大井」
「信州善光寺道中記」(安藤直太郎氏蔵、引用している『尾張の街道と村』中には成立年表示なし、善光寺詣が広まるのは江戸時代中期以降)
「名古屋-(1里)-大曽根-(1里)-勝川-(1里半)-坂下-(1里半)-内津-(2里)-池田-(2里)-高山-(1里)-土岐-(1里)-釜戸-(1里10丁)-竹折」
・『美濃飛騨郡界変遷及街道図』(一信社,1931)記載、明治20年板行の案内記による里程では以下の通り。
「名古屋街道 恵奈郡竹折ヨリ名古屋ヘ出ヅ
竹折 (次の駅へ)二里
×釜戸
土岐 一里
高山 二里
×多治見
池田 一里十八丁
尾張内津ヨリ名古屋マデ六里、東海道宮マデ一里十九丁」
・竹折から岩村までの里程が記載された資料はみつからなかった。参考として『ぎふの自然歩道90万歩』(下里正臣,1998)に、野井バス停から明智鉄道岩村駅までのコースが記載されているものを紹介。
「野井バス停・野井武並神社-(大名街道に入る)2.0k-小ヶ沢池-1.0k-茶屋場所跡-1.6k-夕立山園地-0.8k-夜泣き松-1.1k-上平-1.2k-根ノ上-1.0k-希菴塚-(塔ヶ根を下り大名街道とわかれる)2.5k-岩村駅」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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『土岐市史 第2巻』(土岐市史編纂委員会,1971)『土岐津町誌 上』(土岐市土岐口財産区,1997)に記述があるが、こちらは確認済みとのこと。
- NDC
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- 中部地方 (215 9版)
- 参考資料
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- 『土岐市史 第2巻』(土岐市史編纂委員会,1971 郷土:251/ト)
- 『土岐津町誌 上』(土岐市土岐口財産区,1997 郷土:251/ト)
- 樹神弘編『岩村町歴史シリーズ』(岩村町教育委員会 郷土書庫:255.6/イ)
- 桜井芳昭『尾張の街道と村』(第一法規出版,1997 郷土:682/サ)
- 『美濃飛騨郡界変遷及街道図』(一信社,1931 郷土:290.38/ミ)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000031722