碑自体と建立したとされる人物について解説のあるサイトは該当なし。
=>郷土行政資料の地誌・文化財について書架を見て探したところ、『真間の里』(亀井院)83~84ページに碑の建立の経緯と碑文の内容が簡潔に述べられた記載あり。
市川の花柳界を支えてきた名妓達に思いを馳せ、各種クラブの活用から沈滞気味な花柳界にスポットを当てて、妓芸を通じた地方文化の発展につなげたいとの趣旨で建立された。
市内在住の国府台女子学院院長の平田博永氏、錦野印刷社長の岸本義一氏、市川東葛信用金庫理事長の蓜島正次氏らが世話人となり建立を呼びかけ、三十人からの有志により妓芸の神にゆかりの浮嶋弁財天の敷地内に1985(昭和60)年4月13日に建立された。 除幕式は亀井院住職兼浮嶋弁財天主管の読経、関係者・芸妓約二十名参列のもとに行われ、平田博永氏が碑文を撰し、料亭栃木屋女将で書家でもある鈴木アイ子さんが揮毫した。
碑文の内容は以下の通り。
「にほどりの葛飾野は万葉のむかし美女手児奈を生めり そのえにしありてか古来市川にいくたの名妓研を競ひ 伎芸神に入りて浮世の塵にまみれむわれらをしばしば忘我の境にいざなひそのこころ纒綿として桃源のおもひあらしむ よりてここに石文を刻みて追憶のよすがとなさむ」