終戦連絡中央事務局(終連)は、占領期にGHQと日本政府との連絡を担った機関です。連合国軍最高司令官より示された中央連絡機関設置の要求に応じて、1945年(昭和20年)8月26日、外務省の外局として東京都芝区田村町(当時)に設けられました。初代長官には終戦時外務省調査局長であった岡崎勝男が任命され、その統括の下に4部が置かれました。設置当初それぞれの部では、総務、軍事・政治その他連合国軍に対する通信便宜供与、賠償・経済的調整、俘虜抑留者、といった事項が取り扱われていました。
終連の業務は占領政策の進展とともに複雑化し、内閣直属の行政機関が新設・拡充されるに伴い、それらの機関に分掌または移管されるようになりました。そして、外務省の外局としての終連は、1948年(昭和23年)1月31日の「連絡調整事務局臨時設置法」施行により廃止されました。
終連に関係する文書は、第1回~第3回外交記録公開で公開された記録の中に多数含まれ、第3回外交記録公開中には、外務省記録「終戦連絡各省委員会議事録」や、同「「執務報告」綴 終連の部」など、終戦連絡事務の概要を示す記録があります。また、それらの記録は、外務省ホームページ内の「外交記録公開文書検索」のページ(
http://gaikokiroku.mofa.go.jp/ )からもご覧いただけます。