外務省研修所は、1946年(昭和21年)1月に勅令第56号第19条にて開設が規定され、同年3月1日に東京都文京区の茗荷谷に開所しました。当初は「外務官吏研修所」と称していましたが、その後「外務省研修所」に改められました。
外務省研修所の設置に特に尽力したとされるのが当時の吉田茂外相です。占領期において外務省の機能と人員は大幅に縮小されましたが、吉田は研修所を設置することで、外交再開に備えて要員を温存するとともに、外務省員の訓練と若い職員の養成を目指したのです。この研修所開所の経緯については、外務省百年史編纂委員会編『外務省の百年』(下巻)に記されています。
茗荷谷の研修所の建物は、戦前から戦時中にかけて外務省文化事業部所管の対支文化事業で中心的役割を担った東方文化学院の東京研究所(終戦後、外務省所管となる)として、1933年(昭和8年)に建造されたもので、以来、1994年(平成6年)3月に神奈川県相模原市に新しい外務省研修所ができるまで、外務省の研修施設として利用されました。
なお、外交史料館では、外務省研修所に保管されていた「外務省茗荷谷研修所旧蔵記録」の閲覧が可能です。この史料群は、同研修所に未整理状態で保管されていたもので、主として対中国、満州経済活動に関する記録や対台湾、朝鮮といった植民地行政に関する記録が含まれています。