レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年05月05日
- 登録日時
- 2020/05/15 16:58
- 更新日時
- 2020/06/04 10:09
- 管理番号
- 2020-08
- 質問
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未解決
1 「いで湯と城と文学のまち」というキャッチコピーの初出はいつか。
2 愛媛に文学のイメージがついたのはいつ頃からか。
3 愛媛における子規や漱石の評価の歴史についての文献はあるか。
4 愛媛と文学の関係についての文献はあるか。
- 回答
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1 当館所蔵資料で、以下の資料にキャッチコピーが載っている。
【資料1】【資料2】【資料3】
初出についてはわからないが、1986年(昭和61年)より前からキャッチコピーが存在していたと考えられる。
また、【資料4】には、松山の観光について次のように書いてある。
p379 松山市の新しい観光のあり方を探るシンポジウムが、昭和52年1月12日、13日の両日開かれた。(略)今後は地域住民の生活にふれる「住民観光づくり」ないし地域の個性を生かした「文化観光」をめざすべきで、お遍路コースは山と海が調和した文化観光としてすぐれたもので、松山だけでも見直してはどうかなどの提言を得た。(略)「文化的で健全な温泉」をめざして、PR活動と観光客誘致に努力を重ね、子規記念博物館(昭和56年)、椿の湯の改築(昭和59年)、本四架橋(昭和63年)、松山空港の国際化など道後温泉の復活の起爆剤となる事業に期待をつないだ。(略)戦災で焼失し、松山城の鬼門にあたる重要な櫓だった天神櫓と、南と西に伸びる続き塀の復元事業が、市制90周年記念事業の一環として、昭和54年1月に着工、同年9月に完成し、小天守閣などの復元など、これまでの復元事業によって松山城本丸部分がほぼ元の姿にもどった。
松山市が観光について、温泉、城、文学に力を入れていたという経緯から、「いで湯と城と文学のまち」というキャッチコピーが生まれたのではないかと思われる。
他に、キャッチコピーに近い文言が載っている資料で、【資料5】【資料6】がある。
2 愛媛には、古代の『古事記』や『日本書紀』の国生み神話に始まり、近世の俳諧の隆盛、近代俳句の正岡子規、大江健三郎ら現代作家の小説等、様々な文学作品があるが、いつ頃から文学のイメージがついたかということを書いている資料は見当たらない。
愛媛の文学については、【資料7】に詳しく載っている。
3 子規・漱石の評価の歴史をまとめた資料は見当たらないが、子規・漱石に関する研究書や論文は多数ある。
当館の蔵書検索で、キーワード「子規」「漱石」等で検索可。
松山子規会の『子規会誌』や、松山市立子規記念博物館の『子規博だより』等の資料は、現在も続刊していて、新しい論文が随時掲載されている。
4 【資料7】【資料8】【資料9】【資料10】
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 【資料1】『道後(松山市)の観光について いで湯と城と文学のまち「まつやま どうご」』 愛媛相互銀行調査部 1986年 <当館請求記号:K293.1-107>
- 【資料2】『いで湯と城と文学のまち 松山〔パンフレット〕 やさしい心と夢 そして物語がある』 〔松山市〕 〔2004年〕 <当館請求記号:K293.1-イデ-2004>
- 【資料3】『松山市観光振興計画~いで湯と城と文学のまちの発展を目指して~』 松山市 2006年 <当館請求記号:K689.2-マツ-2006>
- 【資料4】『松山市史 第4巻 現代』 松山市 平成7年 <当館請求記号:K231-49-4>
- 【資料5】『タウン情報まつやま 創刊3周年記念特別付録 いで湯と文学の里 道後村めぐり』 タウン情報まつやま編集部 1978年 <ヤマK29-70>
- 【資料6】『道後村めぐり案内記 いで湯と歴史と文学のふるさと』 山野芳幸/著 青葉図書 1994年 <当館請求記号:K293.1-ヤヨ-1994>
- 【資料7】『愛媛県史 文学』 愛媛県 昭和59年 <当館請求記号:K200-31>
- 【資料8】『愛媛文学手鏡』 愛媛文学叢書刊行会/編 青葉図書 1987年 <当館請求記号:K910-19>
- 【資料9】『愛媛の文学』 図子英雄/著 愛媛県文化振興財団 2001年 <当館請求記号:K910.26-ズヒ-2001>
- 【資料10】『愛媛・松山の歴史と文学を歩く』 森本繁/著 アトラス出版 2013年 <当館請求記号:K293.1-モシ-2013>
- キーワード
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- 愛媛
- 文学
- 正岡子規
- 夏目漱石
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 書誌的事項調査 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000282190