レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年06月15日
- 登録日時
- 2018/10/04 17:50
- 更新日時
- 2019/01/23 11:04
- 管理番号
- 2018-21
- 質問
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未解決
後藤朝太郎についての資料はあるか。(特に松山中学校時代)
- 回答
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後藤朝太郎の松山中学在学中の資料について、松山中学校友会誌『保恵会誌』の当館資料(現物及びデジタルデータ)を調べたが、該当の資料は見当たらなかった。在学・在郷期ではない文献・資料は以下のとおり。
【資料1】p55 明治33年 第8期卒業80名の中に、文学士として記載がある。
【資料2】p46-52 “娑婆の会見”(※デジタルデ-タ)。内容は哲学的な随筆文。会友(卒業生)として執筆。
【資料3】p56-59 “郷土の思ひ出”「学校時代の先生では渡部、村井の両先生は今はゐられず、」や、「寄稿を申越された旧友曽我君は小川勇、桜井忠温、大島義修、片上伸、武田豊四郎の諸君始めあの頃の友人中の友人」等の記載があり、これらの人々は松山中学時代の恩師、旧友と思われる。
【資料4】『愛媛県史』人物編
「えひめの記憶」愛媛県生涯学習センター作成 以下のウェブページに記載あり
http://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:2/57/view/7503
後藤 朝太郎 (ごとう あさたろう)
明治14年~昭和20年(1881~1945)学者。明治14年・4月16日松山に生まれる。号は石農と呼ぶ。松山中学校から第五高等学校,東京帝国大学文科(中国語)を卒業。大陸金石史を研究するため中国へ渡ること十数回。著書には『文字の研究』『支那文化の研究』『翰墨行脚』など多数ある。昭和20年8月29日交通事故で死去. 64歳。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 幼児.初等.中等教育 (376)
- 参考資料
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- 【資料1】『愛媛県立松山中学校同窓会名簿』第4号(昭和11年度)愛媛媛県立松山中学校同窓会/昭和11年(1936年)発行 <当館請求記号K376.6-エヒ4>
- 【資料2】『保恵会誌』74号(明治34年4月) 愛媛県立松山中学校保恵会 ※デジタルデータ
- 【資料3】『伊予史談』100号(昭和14年12月)伊予史談会 1939
- 【資料4】『愛媛県史 人物編』1989年 <当館請求記号K200-31> ※ウェブページに記載あり
- キーワード
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- 後藤朝太郎
- 松山中学
- 保恵会誌
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌的事項調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 学生
- 登録番号
- 1000243347