レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年01月18日
- 登録日時
- 2013/03/20 16:26
- 更新日時
- 2013/07/09 11:55
- 管理番号
- 2009-0093
- 質問
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解決
山形県で最初に映画が上映されたのは「いつ、どこで」だったのか、典拠や新聞記事なども併せて教えて下さい。
- 回答
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所蔵資料中に、本県で映画が最初に上映された時期と場所を示す資料は探すことができませんでしたが、関連記載の中では、米沢での下記時期が一番早い上映時期でした。
資料1、 明治32年7月8日付の「米沢新聞」に
「活動写真」という見出しで、明治32年7月10日から「米沢座」で上映される活動写真についての記事があります。
資料2に所載の
-明治時代の「米沢と映画」-(江田忠) の中で、上記の記事について記載されていますが、そこでは、さらに「米沢座で明治三十二年七月十日から上映された「シネマトグラフ」 が米沢における最初の映画であったかどうかは詳らかでない」 と述べられています。 (資料2 P8~14)
一方、資料3では
「米沢での活動写真の初演は、それ以前の同三十二年七月十日で」 とされています。(資料3 P462)県内の他地域の上映時期については下記の概要の記載がありましたが、いずれも明治32年7月10日以降の期日です。
山形市については、資料4P422、P428、資料5P266、資料6P467 によると、
明治38年日露戦争中にその記録映画が山形市で上映され、40年頃に本格的な興行をはじめ、定期的上映は45年から。大正元年1月霞城館が興行を開始。大正3年8月 千歳座が、9月には霞城館が常設館となった。
東根市は、資料7 P277~278 によれば
大正3年、東根温泉本郷館北隣に「常盤座」が創設され、旅回りの芝居や映画が月に数回上映された。
寒河江市は、資料8 P543 によれば
大正元年12月建設の内楯の検米所(小作米共同徴収所)で、無声映画の巡回興行や書生芝居が開催された。また土蔵の白壁を利用した映画会が開かれた。
酒田市は、資料9 P136、資料10 P411 によれば、
大正元年にできた大正亭という寄席が、活動写真時代に入ると大正館と改め、大正10年4月に常設映画館中央座となった。
新庄市は、資料11 P666 によれば、
大正11年9月に開館した平和館が、映画専門館の最初。
上山市は、資料12 P25によれば、芝居小屋だった明治座が、大正の末から昭和初めに映画の常設館春日館となった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 世界史.文化史 (209 9版)
- 参考資料
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- 資料①米沢新聞マイクロフィルム(明治32年7月)
- 資料②米沢文化/米沢市芸術文化協会編/1965(KS705/ヨネ/:1965)
- 資料③米沢市史 近代編/米沢市史編さん委員会編/1995(K274.1/ヨネ/4)
- 資料④山形新聞ニュース百年史/山形新聞社編/1976(k209.6/ヤマ)
- 資料⑤山形市の120年/大久保義彦監修/2009(YK264.1/オオ)
- 資料⑥やまがたの歴史/山形市市史編さん委員会編/1986(K264.1/ヤマ)
- 資料⑦東根市史 通史篇下巻/東根市編/2002(K261.2/ヒガ/2)
- 資料⑧寒河江市史 下巻/寒河江市史編さん委員会編/2007(K262.1/サガ/3)
- 資料⑨写真集明治・大正・昭和 酒田/佐藤三郎編/1982(YK220.1/サト)
- 資料⑩酒田市史年表/酒田市史編纂委員会編/1988(K220.1/サカ)
- 資料⑪新庄市史 第4巻/新庄市編/1996(K250.1/シン/4)
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資料⑫写真集明治・大正・昭和 上山/後藤嘉一/1980(YK264.2/ゴト)
※( )は当館の請求記号です。
- キーワード
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- 活動写真
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000129208