レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年02月17日
- 登録日時
- 2012/02/17 13:54
- 更新日時
- 2012/02/17 21:16
- 管理番号
- 20120217-14
- 質問
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解決
本地垂迹について知りたい。
- 回答
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『国史大辞典』に次の情報があった。
ほんじすいじゃくせつ 【本地垂迹説】
「仏・菩薩が人々を救うために、さまざまな神の姿を借りて現われるという教説。「本地垂迹」ということばは、後秦の僧肇が著わした『注維摩』の序に、「非本無以垂迹、非跡無以顕本、本跡雖殊、而不思義一也」とみえるのに始まるといわれる。本地は、本体・本源という意味で、垂迹は、本体が衆生を救うために仮の姿をとってこの世に出現することをいう。『法華経』寿量品には、永遠不滅の釈迦を本地の釈迦とし、現実の世界に現われた、史上の釈迦を垂迹の釈迦とする教説がみえ、『大日経』には、毘盧遮那仏は、衆生を救うために、あらゆるものの姿をとって現われると説かれているなどの例をあげるまでもなく、超歴史的な本体が、歴史の世界に姿形をとって現われるという思想は、大乗仏教の経論に広くみられるものであった。そして、そのような思想は、仏教が中国に伝えられた時、本地としての仏・菩薩が、儒教の聖人や道教の神仙として垂迹したという教説を生み、さらに日本では、仏・菩薩が神祇となって垂迹するという教えを生み出した。日本における本地垂迹説は、東大寺の大仏造立を発願した聖武天皇が、橘諸兄を伊勢神宮に遣わしてその成就を祈らせたところ、「日輪者大日如来也、本地者盧舎那仏也」という夢告を受けたと記す『大神宮諸雑事記』、垂迹の神が国政を護ることを述べた恵亮の表を載せた『三代実録』貞観元年(八五九)八月二十八日の記事、「権現菩薩垂迹猶同」と記す承平七年(九三七)十月四日の大宰府牒などを早い例とする。」
関連項目:
神仏習合(しんぶつしゅうごう)
神本仏迹説(しんぽんぶつじゃくせつ)
垂迹美術(すいじゃくびじゅつ)
参考文献:
辻善之助『日本仏教史之研究』正篇上(『日本仏教史研究』一)
西田長男『神道史の研究』二
村山修一『本地垂迹』(吉川弘文館『日本歴史叢書』三三)
- 回答プロセス
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Yahoo!百科事典[日本大百科全書(小学館)]に次の情報があった。
本地垂迹(ほんじすいじゃく)
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%9C%AC%E5%9C%B0%E5%9E%82%E8%BF%B9/ (2012/02/17確認)
「日本古来の神祇(じんぎ)信仰と仏教の仏菩薩(ぶつぼさつ)の信仰が同化する、いわゆる神仏習合に基づく考え方で、仏菩薩がこの世の人を救うために仮に姿を現すとし、仏菩薩を本地(真実の身)、神を垂迹(仮の身)とする思想である。もとは『法華経(ほけきょう)』の本門・迹門、『大日経』の本地身・加持(かじ)身などの説に発し、歴史上の釈迦(しゃか)を永遠普遍の超越的な本仏の現れとする思想に基づく。(以下略)」
- 事前調査事項
- NDC
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- 仏教史 (182 9版)
- 神衹・神道史 (172 9版)
- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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神道史大辞典 / 薗田稔, 橋本政宣編 吉川弘文館 , 2004 ISBN:4642013407
p.888
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神道史大辞典 / 薗田稔, 橋本政宣編 吉川弘文館 , 2004 ISBN:4642013407
- キーワード
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- 本地垂迹(ほんじすいじゃく)
- 神仏習合(しんぶつしゅうごう)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000101891