レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年03月01日
- 登録日時
- 2014/03/01 16:52
- 更新日時
- 2014/03/01 16:59
- 管理番号
- 20140301-1
- 質問
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解決
頼杏坪について知りたい。
- 回答
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頼杏坪 【らい・きょうへい】 コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E9%A0%BC%E6%9D%8F%E5%9D%AA (2014/03/01確認)
朝日日本歴史人物事典
生年: 宝暦6(1756)
没年: 天保5.7.23(1834.8.27)
江戸中・後期の儒学者。安芸(広島県)竹原の人。名は惟柔,字は千祺,通称は万四郎。杏坪は号,春草ともいう。春水の季弟。安永2(1773)年大坂に遊学,兄春水に従い混沌社に出入りした。のちに兄と共に江戸に出て,服部栗斎の教えを受け,天明5(1785)年広島藩の藩儒となった。宋学の興隆に専念,春水に代わり江戸邸の藩侯世子や在府子弟の教育に努めるとともに,甥山陽の教導にも力を注いだ。文政1(1818)年『芸藩通志』編修の命を受け,7年で完成させた。・・・
<著作>『原古編』『芸備孝義伝』『春草堂詩抄』『唐桃集』
<参考文献>重田定一『頼杏坪先生伝』
世界大百科事典 第2版
らいきょうへい【頼杏坪】 1756‐1834(宝暦6‐天保5)
江戸後期の儒者,漢詩人。名は惟柔,字は千祺,通称は万四郎。安芸の人。頼山陽の叔父にあたる。1780年(安永9)大坂に上り,すでにその地で活動していた兄の頼春水とともに学んだ。85年(天明5)春水に続いて広島藩に儒官として召し抱えられ,兄を補佐した。官吏として有能で,1811年(文化8)納戸奉行に転じ,以後は民政担当の役人として藩政に尽くし,また159巻に及ぶ広島藩の地誌《芸藩通志》の編纂にあたった。
国史大辞典
頼杏坪 らいきょうへい
一七五六 - 一八三四
江戸時代後期の儒学者。諱は惟柔。字は千祺、また季立。号は杏坪・春草。通称は万四郎。安芸国(広島県)竹原出身。宝暦六年(一七五六)生まれる。・・・
著に『春草堂詩鈔』八巻(『詩集日本漢詩』一期一〇に影印)、『原古編』六巻、『春草堂秘録』『杏翁意見』『老の絮言』(以上三点、『広島県史』近世資料六所収)などのほか、『芸藩通志』百五十九巻(編纂)がある。頼山陽の叔父。
[参考文献]
重田定一『頼杏坪先生伝』
国立国会図書館デジタルコレクション
頼杏坪先生伝 重田定一 著 (積善館, 1908)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991723 (2014/03/01確認)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 中国地方 (217 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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国立国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/ (2014/03/01確認)
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国立国会図書館デジタルコレクション
- キーワード
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- 頼杏坪
- 芸藩通志 藝藩通志
- 広島藩 芸州藩 芸藩
- 頼山陽
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000150090