レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009年12月31日
- 登録日時
- 2010/01/28 10:31
- 更新日時
- 2010/12/24 12:48
- 管理番号
- さいたま-見-20100012
- 質問
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解決
片柳(さいたま市見沼区)にある万年寺(ばんねんじ)に武田家家臣の墓があると聞いたが誰のものか。
- 回答
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初鹿野昌久(信昌)の墓です。
初鹿野昌久(信昌)は武田家の家臣でしたが、主家の滅亡後、妻子を人質に出して徳川家へ仕え、家康の関東入国に従って移住してきました。武蔵国足立郡、下総国葛飾郡・相馬郡・香取郡で700石を与えられ、知行所として土呂村を与えられています。寛永三年(1626)11月15日に84才で死去、片柳村の万年寺に葬られました。(寛政重修諸家譜第15巻)
慶長元年(1596)、火災にあった万年寺を再興して中興の開基となりました。
また、その子信吉も、ともに万年寺に葬られています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 寺院.僧職 (185)
- 関東地方 (213)
- 参考資料
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- 『大宮市史 第3巻上 近世編』 大宮市役所 1977 (p31-32)
- 『万年寺 大宮 さきたま文庫49』 田口勝一文・写真 さきたま出版会 1996.1 (p10-11)
- キーワード
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- さいたま市見沼区
- 万年寺
- 初鹿野昌久
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000062564