レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009/08/26
- 登録日時
- 2009/09/01 02:10
- 更新日時
- 2022/08/15 15:05
- 提供館
- 京都市図書館 (2210023)
- 管理番号
- 右中-郷土-08
- 質問
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解決
血天井とはどのようなものか。また,どこにあるのか知りたい。
- 回答
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血天井とは,慶長5年(1600)関ヶ原合戦の前哨戦で,鳥居元忠が守る伏見城が落城した際,鳥居元忠らが自刃した,血痕の残る廊下板を使って作られた天井のことです。
また,血天井のある所は主に寺院で,京都市東山区の養源院,北区の源光庵,正伝寺(しょうでんじ),左京区の宝泉院,右京区の天球院,宇治市の興聖寺,八幡市の神應寺(じんのうじ)などがあります。
【資料9】にすべての寺院の記載があります。
- 回答プロセス
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●『京都大事典』より血天井のある所は,正伝寺,宝泉院,養源院である。
●正伝寺,宝泉院,養源院から調べる。京都市北区,東山区,左京区にある寺院なので,『昭和京都名所図会』,『週刊京都を歩く』の洛北,洛東,『京の古寺あるき』を見る。
また,『正伝寺とその文化財』(p42,43)より,“京都市内で血天井と称している寺院”として,上記の3寺院以外に京都市北区の源光庵,宇治市の興聖寺が挙がっている。
●京都の歴史より,『京都・戦国武将の寺をゆく』p29に“血天井が残された京の寺”として,上記の5寺院以外に右京区妙心寺の塔頭天球院,八幡市の神應寺が挙がっている。
●血天井は,伏見城の遺構なので,伏見城からあたる。『豊臣秀吉の居城 聚楽第/伏見城編』第5章には,伏見城の遺構について説明がある。
<血天井の背景>
関ヶ原の戦いの直前,徳川家康は会津の上杉景勝討伐に向かう前に,鳥居元忠に伏見城の守備を命じた。しかし,家康の留守を狙って石田光成が兵を挙げ,小早川秀秋・島津義弘ら約4万の軍が総攻撃,わずか1800人で応戦した伏見城は落城した。
元忠と生き残りの兵士は伏見城廊下で自害し,この時の血の跡が残る床板を,供養として寺院の天井に使用した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 8版)
- 寺院.僧職 (185 8版)
- 参考資料
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- 【資料1】『京都大事典』 (佐和 隆研ほか編 淡交社 1984) p356,502,825,953
- 【資料2】『昭和京都名所図会 3 洛北』 (竹村 俊則著 駸々堂出版 1982) p133,288,300
- 【資料3】『昭和京都名所図会 1 洛東』 (竹村 俊則著 駸々堂出版 1980) p106,107
- 【資料4】『週刊京都を歩く No.25 東山』 (講談社 2003) p20 養源院
- 【資料5】『週刊京都を歩く No.37 紫野周辺』 (講談社 2004) p21 源光庵
- 【資料6】『週刊京都を歩く No.5 大原』 (講談社 2003) p16,17 宝泉院
- 【資料7】『京の古寺あるき』 (メディアユニオン編 有楽出版社 2007) p39,58-59,77,79
- 【資料8】『正伝寺とその文化財』 (吉祥山正伝寺 1976) p42,43
- 【資料9】『京都・戦国武将の寺をゆく』 (津田 三郎著 サンライズ出版 2007) p29
- 【資料10】『豊臣秀吉の居城 聚楽第/伏見城編』 (桜井 成広著 日本城郭資料館出版会 1971) p376,380,391
- キーワード
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- 血天井
- 伏見城
- 養源院
- 源光庵
- 正伝寺
- 宝泉院
- 天球院
- 興聖寺
- 神應寺
- 鳥居元忠
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000057547