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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

提供館
(Library)
埼玉県立久喜図書館 (2110009)管理番号
(Control number)
埼久-2012-054
事例作成日
(Creation date)
2012年05月05日登録日時
(Registration date)
2012年08月30日 13時50分更新日時
(Last update)
2012年11月30日 11時23分
質問
(Question)
久喜市の地名「清久」(きよく)を名乗った戦国武将オオコウチ氏?に関する資料が見たい。
回答
(Answer)
鎌倉時代初期の武士「大河戸 秀行」(オオカワド ヒデユキ)が「清久」を名乗ったことに関する資料について、以下4点を紹介した。

『久喜市史 通史編 上』(久喜市史編さん室編 久喜市 1992)
p251-253「清久氏の登場と大河戸氏一族」の項
『埼玉大百科事典 2』(埼玉新聞社 1974)
p97「清久左衛門尉」の項
『埼玉人物事典』(埼玉県教育委員会編 埼玉県 1998)
p298「きよくひでゆき 清久秀行」の項
『武蔵の武士団』(安田元久著 有隣堂 1984)
p112「大河戸氏と大河戸御厨」の章
回答プロセス
(Answering process)
まとまった記述のある資料
『久喜市史 通史編 上』
p251-253「清久氏の登場と大河戸氏一族」の項に以下の記載あり。
「市内清久を本拠とした清久秀行(きよくひでゆき)は秀郷流藤原氏のうち、大河戸(おおかわど)氏の祖となった大河戸行方(重行)の次男である。長子広行が大河戸氏を継ぎ、その三人の弟はそれぞれ本貫とした地の名をとり、おのおの清久氏(次郎秀行)、高柳氏(三郎行基)、葛浜氏(四郎行平)を名乗った。」
「清久氏の館は現在の大字清久字白幡にあったとされている。(中略)かつて、その周囲は湿地帯であり、『新編武蔵風土記稿』は清久次郎・清久山城守の家系の城跡としているが、現在、遺構はみられない。」

『埼玉大百科事典 2』
p97「清久左衛門尉」の項に以下の記載あり。
「鎌倉時代の武蔵武士。藤原秀郷の流れで大河戸氏の族。埼玉郡清久(現久喜市)の出身。幕府に仕えて左衛門尉となる。承久の乱(1221)に出陣し宇治橋の合戦で多数の敵兵を討ち取っている。館跡、墓所ともに常徳寺にある。」
p97-98「清久氏館跡」の項に以下の記載あり。
「「吾妻鏡」に治承五年大河戸次郎秀行(清久と号す)以下、清久兵衛尉秀綱、清久弥二郎保行、清久右衛門二郎、清久山城守等と続き、「太平記」の貞和五年(1349)清久左衛門次郎まで、鎌倉時代初めから南北朝にかけて清久氏の記載がみられる。また、常徳院には鎌倉時代末-宝篋印塔の残欠がある。ここを、清久氏の館跡と推定して間違いないであろう」

『埼玉人物事典』
p298「きよくひでゆき 清久秀行」の項に以下の記載あり。
「生没年不詳 鎌倉時代初期の武蔵武士。通称次郎。大河戸重行の2男。清久(久喜市)が名字の地。(後略)」
『武蔵の武士団』(安田元久著 有隣堂 1984)
p112「大河戸氏と大河戸御厨」の章に「秀行は清久と号し」とあり、その後四兄弟についての記述が続く。 

その他調査済み資料は以下のとおり
『久喜市史 資料編1 考古・古代・中世』(久喜市史編さん室編 久喜市 1989)
p651「三 朴沢系図〔朴沢文書〕」の系図に「行方 下総権守」-「清久 次郎」との記述あり。
『久喜市史調査報告書 第1集 地誌』(久喜市史編さん室編 久喜市 1983)
「新編武蔵風土記稿」を収載し、「上清久村」の項に以下の記載あり。
p38「古え当所に清久次郎といえる人住せし故起りし名にて、太平記清久山城守など見えたるも、当所に住せし人ならんと云えり、(後略)。」
『久喜市史調査報告書 第2集 清久村郷土誌』(久喜市史編さん室編 久喜市 1984)
「清久村郷土誌」をを収載。うち、「白旗地」「白旗城跡」の項に以下の記載あり。
p115「白旗地」に「清久次郎根拠を此処に定むるやその臣瀬田五郎をして加吾宿の地を藤本太郎をして藤本の地を小河原某をして赤旗の地を開かしむ。」とあり。
p128「白旗城跡」に「清久次郎の居城と伝えらる。」とあり。
『久喜市史調査報告書 第7集 久喜市の遺跡』(久喜市史編さん室編 久喜市 1987)
p3「久喜市遺跡地名表」の一覧に「清久氏館跡」あり。
p10「清久氏館跡」に解説あり。

『新編埼玉県史 通史編2 中世』(埼玉県編 埼玉県 1988)
p89「初期武蔵武士一覧」
「[名字]清久 [本姓および所属党]秀郷流藤原氏太田氏族 [本貫地]埼玉郡 [現在地]久喜市上清久・下清久 [氏人]秀行」
『埼玉県史 3 鎌倉時代』(埼玉県編 埼玉県 1933)
p85「清久村に清久氏」とあるのみ。
p92「吾妻鏡所載武蔵武士根拠地」の南埼玉郡に、「[人名]清久左衛門尉 [町村]清久村 [字名]清久 [館阯]館阯 [墳墓及び関係社寺]常徳寺(館)」とあるのみ。

「オオコウチ」「大河内」姓と清久氏が関係しないことを確認した資料
『埼玉人物事典』(埼玉県教育委員会編 埼玉県 1998)
p168「大河内久綱」「大河内秀綱」の項
『埼玉大百科事典 1』(埼玉新聞社 1974)
p244「大河内金兵衛久綱」「大河内金兵衛秀綱」「大河内金兵衛正綱」の項
『埼玉の中世城館跡』(埼玉県立歴史資料館編 埼玉県教育委員会 1988)
『埼玉叢書 3』(稲村坦元編 柴田常恵編 国書刊行会 1970)
p194-195「清久村白幡山雷電社縁起」の項


自館作成データベース「埼玉県人物文献索引」「埼玉関係雑誌記事」を〈大河戸〉〈清久〉〈秀行〉で検索したが、該当なし。
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
関東地方  (213 9版)
個人伝記  (289 9版)
貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション  (090 9版)
参考資料
(Reference materials)
『久喜市史 通史編 上』(久喜市史編さん室編 久喜市 1992)
『埼玉大百科事典 2』(埼玉新聞社 1974)
『埼玉人物事典』(埼玉県教育委員会編 埼玉県 1998)
『武蔵の武士団』(安田元久著 有隣堂 1984)
キーワード
(Keywords)
大河戸 秀行(オオカワド ヒデユキ)
大河戸(家)(オオカワド(ケ))
清久(家)(キヨク(ケ))
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介
内容種別
(Type of subject)
人物 郷土
質問者区分
(Category of questioner)
個人
登録番号
(Registration number)
1000110723解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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