レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2006/02/08
- 登録日時
- 2006/07/08 02:11
- 更新日時
- 2008/04/04 13:22
- 管理番号
- 埼熊-2005-125
- 質問
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未解決
鎌倉時代に武蔵国府が現在の熊谷市村岡にあったことがわかる資料を探している。
質問典拠:永徳2年4月20日長谷河親資軍忠状に「去々年康暦二、六 武州国府村岡御陣」の文言が見られる。(「新編武州文書」)より。
- 回答
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武蔵国の国府は、現在の府中市に置かれていた。「倭名類聚抄」等の古辞書でも「国府在多磨郡」となっており、『国史大辞典』ほか複数の資料にも、府中市以外を所在地とする記述は見あたらなかった。
『埼玉縣史 2』(1931年)には、熊谷市と越谷市に〈別府〉という地名があることから、武蔵国は広いため現在の熊谷市と越谷市に支庁として別府が置かれたのではないかと書かれているが、明らかではない。また、同書では、熊谷市に置かれた別府は、別府村(幡羅郡 西別府・東別府・下増田の3か村が合併)としている。『角川日本地名大辞典 11』〈別府氏館跡〉(熊谷市大字東別府)の記述中にも、「武蔵国府の支庁が置かれた所とされている」とある。国府と〈村岡〉との関わりは不明。
なお、国府は、「律令制下、地方支配の拠点として各国に設置した役所」(『角川日本史辞典 新版』による)。国司制度は律令制下のものであり、鎌倉時代には知行国制となり、元暦元(1184)年以降、武蔵国は源頼朝の知行国となっている。典拠の康暦2(1380)年、永徳2(1382)年は、南北朝時代。
- 回答プロセス
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歴史関係資料で武蔵国府の所在地を確認するとともに、熊谷市関係の郷土資料を探索する。複数の郷土資料に熊谷に支庁が置かれたとの記述は見つかるが、出典はいずれも『埼玉縣史 2』となっている。
なお、参照した資料は以下のとおり。
『国史大辞典 5』『埼玉大百科事典 5』『埼玉縣史 2』(1931年刊)『新編埼玉県史』『埼玉県地名誌』『熊谷市史 通史編』『熊谷市史 前・後篇』『熊谷郷土文化会誌 29』(別府特集号)『郷土史点描』『新編熊谷風土記』『別府の今昔』『武蔵』(太田亮)『日本古典全集 2-17』(「倭名類聚鈔」)『国府』(木下良)『国府』(藤岡謙次郎 有峰書店 1970)『武蔵国庁はどこか?』(府中市教育委員会 1977)『幻の国府を掘る』(雄山閣出版 1999)ほか
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 関東地方 (213 9版)
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 『埼玉縣史 2』
- キーワード
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- 国府
- 史料-日本史
- 武蔵国-埼玉県-東京都
- 地名-村岡-熊谷市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000029454